ただ、中国戦線を行った他の残留日本兵によれば、農作業をしている農民の中に敵兵が紛れていて、通り過ぎたあとに犬の腹に括り付けておいたピストルを取り出し、背後から銃撃されることもあったという。ドラマでも子どもが日本兵を撃ち殺したように、どこで命を狙われるかわかならない恐怖があった。

 そして、戦争も終わりに差し掛かると、やはり食料の補給が間に合わなくなる。その典型がインパール作戦だ。

「ゾウは水牛みたいな味がした」

 兵士には20日分の食料しか持たせず、あとは現地調達。ぬかるみ、足場の悪いジャングルの山中を行軍し、インドのインパールの攻略を目指す。必要とあれば、輸送に使っているゾウを食べるという「ジンギスカン作戦」も提唱されていた。

「ゾウも食べたよ。水牛みたいな味がした」

 そういう元日本兵もいたが、まだ食料があるだけマシだった。“史上最悪の作戦”と言われるように、補給を軽視したインパール作戦は失敗に終わり、敗走する日本兵は戦死より、飢えやマラリア、コレラで病死するほうが多かった。

ビルマ・インパールの日本軍 =撮影日不明(写真:TopFoto/アフロ)

 そうした戦場で中野が回顧していたのは、「敵さん」(と、日本兵たちは口を揃えて呼んでいた)の飛行機が落としていく補給物資だった。

「あれは美味しかったですねえ!」

 中野が感慨深げに語っていたのは、台形の缶詰に入ったコンビーフ(corned beef=塩漬け肉)だった。日本では見たこともなかった。その他にも、豆の缶詰やジャガイモ、ミルク、それに日本のものよりははるかに大きい乾パン(クラッカー)もあった。それを「敵さん」から分捕るのだ。

「ミルクを飲んだら、こんどは喉が乾いて困りましたね。水がないんですよ。山の上でしたから」