このロシア人避難民たちは、クルスク州のスジャという町やその周辺から避難してきた人だ。スジャからウクライナとの国境までは約10キロ、国境からスムイまでは25キロほどの距離がある。

 この地域にはロシア人でもウクライナ語を理解ししゃべれる人もいる。また、ほぼ全員にウクライナに親せきがいるという。ウクライナと交流が深い地域だ。

「ロシア軍がキーウを攻撃? なぜキーウが攻撃されるの?」

 取材時、普段着ている暗色の上着ではなく、白いフリースを着用した。民間人の避難民に威圧感を与えないためだ。話しかけるときも、努めて明るく挨拶をした。

 日本はロシアにとって“非友好国”である。敵国ウクライナで非友好国からきたジャーナリストと話すことに、ロシア人は警戒するかもしれない、と懸念したからだ。

 しかし、それは杞憂だったかもしれない。

 話をした女性3人は、筆者が彼女たちの住む部屋に入って挨拶すると、笑って「来てくれてありがとう。ぜひ私たちのことを伝えてね」と言ってくれた。

話を聞かせてくれたロシア人避難民。右の女性はウクライナ南部のムィコライウにきょうだいがいるという。全面侵攻後、連絡がついていないそうだ(筆者撮影)

 筆者が避難民に取材をする中で最も驚いたのは、ウクライナ戦争に関する情報や認識の違いだった。

「戦争は2024年8月に始まった」ロシア人避難民は口をそろえてそう言った。これはウクライナがクルスク州に本格的な攻撃を開始した時期である。

 2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻したのは知っているか、と聞くと、「もちろん。私たちの街を通って軍は進んでいったから」と言う。

〈あれは特殊軍事作戦であり、戦争ではない〉という認識だろうか、と予想した。

 しかし、そうではなかった。避難民によれば「ロシア軍はドンバスにロシア系住民を助けに行った。そして、それは遠くで起こっていることで我々には関係がなかった」のだという。