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「日本人ファースト」を掲げる参政党が7月の参院選で躍進するなど、新たな「保守」勢力の台頭に注目が集まっています。かつて日本の「保守」といえば自民党でしたが、そもそも「保守」とはどのようなものでしょうか。『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書)を著した評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲氏に、ドイツ出身で長年日本に暮らしてきた著述家のマライ・メントライン氏が話を聞きました。4回に分けてお届けします。

※JBpressのYouTube番組「マライ・メントラインの世界はどうなる」での対談内容を書き起こしたものです。詳細はYouTubeでご覧ください(収録日:2025年7月24日)

「大東亜戦争」「太平洋戦争」…。「あの戦争」の歴史観

マライ・メントライン氏(以下:敬称略):最近書かれた『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書)の中で、そもそも「あの戦争」をなんと呼ぶのか、という議論がありました。私はドイツ人として「第二次世界大戦」といつも言っていますが…

辻田真佐憲氏(以下:敬称略):当時の日本政府は「大東亜戦争」と呼んでいましたが、戦後アメリカによって「太平洋戦争」とされました。そうした背景から、右翼は「大東亜戦争」と呼び、左翼の中にはアジアの犠牲を含めて「アジア太平洋戦争」と呼ぶ人がいます。

 日本はよく1941年の真珠湾攻撃を戦争の始まりと捉えることが多いですが、国際的には1939年のドイツによるポーランド侵攻が「第二次世界大戦」の始まりとされています。ただ、日本はそれ以前の1937年から日中戦争を始めていました。そうすると、第二次世界大戦に日本はいつ加わったのか、「あの戦争」をなんと呼ぶべきなのかと今に至るまで議論が続いているのです。

メントライン:なぜその議論が重要なのですか。

辻田:戦後、日本には近代の歩みをうまく言語化できていない問題があります。

 例えば、他の国の首都には大抵、国立の歴史博物館があります。自分の国の戦争の歴史とその負の面を市民が学びにいくことができます。一方、日本の東京では、該当するような中立的・公共的な施設がありません。靖国神社内に「遊就館」がありますが、公共の教育で使えるかというと少し微妙なところがあります。

 だから、我々の中で「あの戦争」は何だったのかという価値観が共有されていない。国がある程度価値観のベースを作らなければ、「あの戦争」について「右」と「左」の議論がいつまでも続きます。