(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年6月26日付)

米国の仲介でコンゴとルワンダが和平の合意文書に署名したことを発表するトランプ大統領(6月27日、写真:AP/アフロ)

 これで彼が「孤立主義者」でないことに全員が同意したと筆者は理解している。

 そもそもドナルド・トランプに適用すべきでなかったこの形容が先日、どれほどの規模なのかも分からないイランの核開発プログラムとともに、煙のごとく消失した。

 今回の米国の爆撃は、トランプのシリアに対する2017年の攻撃、民兵組織イスラム国(ISIS)のリーダーを狙った2019年の攻撃、そしてイラン革命防衛隊の司令官を殺害した2020年の攻撃などに連なる一貫性のある行動だった。

 トランプにぴったり合う抽象名詞――自国優位主義、単独行動主義、反欧州主義――を踏まえれば、孤立主義という言葉が日の目を見たこと自体が不思議だ。

 2003年のイラク戦争に、まだ民間人だったトランプが反対していたかどうかも明らかではない。

イラン爆撃への反発の弱さ

 1人の人物に当てはまることが大国としての米国にも当てはまっているのかもしれない。

 今回のイランへの介入から得られる教訓は、時の大統領が誰であろうと、米国が世界から退却する恐怖の事態は、厳密に現実的であるよりは、ただ語られることが多いということだ。

 手始めに、イラン爆撃をめぐる「意見対立」を大局的に考えてみよう。

 異論を唱えた人々のうち最も有名なのは、トランプのかつての側近スティーブ・バノンと評論家のタッカー・カールソンであり、政権の閣僚でもなく、下院共和党の大きなグループですらない。

 この議員グループはMAGA(米国を再び偉大に)運動の言いなりで、非介入主義といった特定の原理原則ではなく、究極的にはトランプ本人とのつながりしかない。

(同じテーマについて言えば、多くのワクチン懐疑派が新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を監督・促進した大統領をあがめ奉っている)

 だが、だからと言って民主党からの反発がとてつもなく強いわけでもない。一般世論の反発も同様だ。

 米国における孤立主義の需要は、外国では過大に見積もられることが多い。その方が孤立した土地に住む国民の古いステレオタイプに合致するからだ。