G7カナナスキス・サミットに出席したトランプ大統領(提供:Daniel Torok/White House/Planet Pix/ZUMA Press/アフロ)

 カナダのカナナスキスで開かれたG7サミットは、トランプ大統領が中座してしまったため、共同声明も出せない状態で6月17日に閉幕した。13日にイスラエルがイランを攻撃し、それにイランが反撃して戦闘が激化している事態に対応するために、トランプは急遽帰国したのである。

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 このような形でG7が閉会したことから、この仕組みそのものへの懐疑論も出てきている。サミットの歴史を振りかえってみよう。

 1973年10月6日に第4次中東戦争が勃発した。この戦争は、エジプトとシリアがイスラエルを奇襲攻撃して始まったが、その影響で、原油価格が高騰した。

 OPEC加盟産油国のうち、ペルシア湾岸6カ国が、10月16日に、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルに引き上げると発表し、約17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が原油生産を段階的に削減することを決めた。

 さらに、OAPECはイスラエル支持国への石油禁輸も決め、湾岸6カ国は石油価格を1974年1月から5.12ドルを11.65ドルに引き上げることを決定した。戦争前の約4倍である。

 アラブ産油国が、石油をイスラエルと対抗するための政治的武器として活用したのである。

 この石油価格高騰は、エネルギー源を安価な中東の石油に依存する先進工業国を直撃し、急激な物価上昇を招いた。第一次石油ショックであり、この危機は、1977年3月に中東産油国が原油生産削減を緩和し、対米禁輸を解除するまで続いた。