酔っ払ったノアの痴態を見た息子の反応
あるとき、ノアはお酒を飲んで酔っ払い、裸になって寝てしまいました。ノアは酔っ払うと脱ぎたがる、そんなタイプの人だったようです。ノアにはセム、ハム、ヤフェテという3人の息子がいましたが、そのうちのハムがこのノアを見て言いました。
「兄さんたち! ちょっと見てよ! 親父が酔っ払って裸で寝ちゃってるよ! あははは!!」
これを聞いたセムとヤフェテは「父さんの痴態を見てはいけない」と思い、顔を背けながら毛布か何かをかけてあげました。優しい2人。やがて目覚めたノアはこの2人には「ありがとうね」と言いましたが、自分の痴態を言いふらそうとしたハムには怒りました。「ふざけんな! お前なんか呪われてしまえ!」。
いやいやいやいや……元はと言えば、酔って裸になっちゃった自分が悪いじゃないですかノアさん。それで呪われちゃうのは、ちょっとハムさんが気の毒です。
現代でもいますよね、普段は立派なのに、酔っ払うと乱れて残念な感じになってしまう人。「お酒さえ飲まなければいい人なのに」なんて言われてしまう人。そして一方で、そんな人のお酒の失敗を周囲に言いふらす人も。時にはそれを鬼の首でも取ったかのように嬉々として。

もちろんまずは酔っ払って乱れてしまうのが良くないことです。お酒は楽しく適量を。せっかくの信頼をお酒の席での乱行で損なってしまうのはあまりにもったいないことです。
しかし一方で、それを言いふらしたり笑いものにしたりするのも、決して褒められたことではありません。お酒に限らず、人の失敗を必要以上に言いふらすのは正しい行為とは言えません。
でも、どちらもついやってしまったりするのが、僕たち現代人の姿でもあるかと思います。失態なんてないに越したことはありませんが、誰もが時には失態を演じてしまいます。どんなに立派な人であっても。それが人間というものです。
そんな人の失敗はなるべく見ずに、そっと毛布をかけてあげる。そんな優しさが現代にこそ求められている気がします。
MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)
1979年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学・Contemporary Writing and Production卒。キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。約11万人のフォロワーを持つXアカウント「上馬キリスト教会」(@kamiumach)の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。クリスチャン向けウェブサイト「クリスチャンプレス」ディレクター。
著書に『上馬キリスト教会ツイッター部のキリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』(KADOKAWA)、『聖書を読んだら哲学がわかった キリスト教で解きあかす「西洋哲学」超入門』(日本実業出版社)、『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』(ポプラ社)、『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(だいわ文庫)、『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。