中原氏の結びの文章は、まさにその通り。
・強烈に「ここに建つ建築」を意識化している。設計者のこだわりが見事に形になっている。
静かな住宅街にあって、ことさら目立つことなく、それでも「ここにあるぞ」ということを静かに強烈に発信している建築だ。
なぜこれほどの建築を設計した人が…
これを設計した「岡秀世」という建築家を筆者は全く知らなかった。調べてもほとんど情報がない。この美術館(といっても掲載名は「東京・熊谷邸」)を掲載した『住宅建築・別冊22 組積造の住宅』に、下記のプロフィルが掲載されていた。
岡秀世
1936年 神奈川県生まれ
1961年 横浜国立大学工学部建築学科卒業
1975年 I.C.D建築設計事務所設立
うーん、大学を出てから事務所を立ち上げるまでの経歴を知りたい…。I.C.D建築設計事務所は老人ホームの実績が多かったこともわかったが、これほどの建築を設計できる人が、あれこれ調べても他の有名作品に行きあたらないのは不思議だ。
そして、もう1つ不思議に思うのは、娘の熊谷榧氏が旧宅を壊して建てるという選択をしたことだ。美術館の公式サイトにはこう書かれている。
1977年に守一が逝去した後、次女・榧を中心として、“モリ”(家族は守一のことをこう呼んでいました)の美術館を建設しようとする機運が高まります。守一が住んでいた自宅兼アトリエや、庭を残したいという声も上がりましたが、「モリの作品を見てほしい」という榧の願いによって、展示室とカフェ、そしてギャラリーを併設した空間として美術館の建設が進みます。
館のカフェに飾られていた榧氏のインタビュー記事(開館した年の『FOCUS』)には、もっとストレートにこう書かれていた。
モリ(父親の守一)の死後もここに住んでいた母も昨春亡くなりました。そこで無人となった家をこわし、モリのプライベート美術館を建てました。(中略)私がモリの住んでた家をこわして美術館を建てようと思ったキッカケは、豊島区がモリの美術館は別に建て、家はそのままの形で残そうとしたからです。故人の家をそのまま残し、中に個人に似せたドロ人形でも飾ろうとするその発想には耐えられなかったのです。
旧宅をそのまま残すという“建築界的には王道”の発想を「ドロ人形を飾る」と酷評する榧氏。そんな彼女が設計者の岡氏に何を求めてこの建築が生まれたのかはぜひ聞いてみたかった。その榧氏も2022年に亡くなってしまった。

榧氏亡き後も美術館は存続している。この記事を書くために2回行ったが、住宅街に、しかも平日に、来館者が次々とやってくる。とはいえ、「いつかは」と言わず、40周年の節目に、熊谷守一の人生をたどりやすい記念展(下記)をぜひご覧いただきたい。
■特別企画展 「めぐる いのち 熊谷守一美術館 40 周年展」
主催・会場:豊島区立 熊谷守一美術館(東京都豊島区千早2丁目27-6)
開催期間:2025年4月15日(火)〜6月29日(日)
休館日:月曜日(祝日問わず)
開館時間:午前10時30分から午後5時30分(最終入館/閉館の30分前まで)
観覧料:一般700円、高・大学生300円、小・中学生100円、小学生未満無料、区民割引(豊島区在住・在勤)600円、団体/一般630円、障害者手帳をご提示の方100円(介助の方1名無料)
公式サイト:https://kumagai-morikazu.jp/
■令和7年度 館長のごあいさつ -春-
2025(令和7)年度、当館は、私設の美術館がオープンしてから40周年を迎えることになりました。一つの施設が長きにわたって活動を続けるということは、決してたやすいことではありません。これは、基本的には、熊谷守一という画家を愛する多くの方々の支援のたまものであることは間違いありませんが、それと同時に、創業者である守一の次女、熊谷榧の努力と、多くのスタッフの支えがあっての結果でもあると言えるでしょう。
さて、毎年続けております周年展も、40周年にふさわしい内容とすべく、守一が描く家族をテーマとし、「めぐるいのち」と題した企画展といたしました。そして、亡き幼児を描いた「陽の死んだ日」と、長女の葬儀からの帰りを描いた「ヤキバノカエリ」は、守一の画業を代表する作品であり、この二点がこの美術館の会場にともに展示できますことは、大変意義深いことと自負しております。

さらに、この記念すべき年に、当館のコレクションをまとめた作品集を製作いたしました。これにより、展示していない作品も含め、当館の活動をご理解いただけるとともに、ご覧いただいた作品の思い出をお持ち帰りいただくことも可能になりました。
3年前の2月に榧初代館長が亡くなり、私をはじめとした新しいスタッフがこの美術館を引き継ぎましたが、この美術館の歴史を途切れさせることなく、さらにより多くの守一愛好者と利用者に愛される施設となるべく、一層の努力を重ねてまいります。
豊島区立 熊谷守一美術館 館長 小泉淳一
◎本稿は、建築ネットマガジン「BUNGA NET」に掲載された記事を転載したものです。