こんな素材感、見たことがない! 鈴木淳平、村部塁、溝端友輔の各氏による「トイレ7」(写真:宮沢洋、以下も)

今回の大阪・関西万博では、公募型プロポーザルで選出された若手建築家20組が「休憩所」「ギャラリー」「展示施設」「ポップアップステージ」「サテライトスタジオ」「トイレ」など、パビリオン以外の“付属施設”を分担して設計した。ここで起用された主に30代~40代前半の建築家たちはきっと今後、国内外で活躍するに違いない。それは、それぞれの建築のクオリティを見れば断言できる。“若手20組”の施設を全て紹介する。

(宮沢 洋:BUNGA NET編集長、編集者、画文家)

若手建築家20組を全紹介
西側エリア:学会賞受賞者2組らが新たな屋根を競う
海側エリア:素材と構成に注目、残念石からグネグネ樹脂壁まで(本記事)
東側エリア:注目株が輝き、冴えていた藤本プロデューサーの差配

 今回は万博会場の海側(南側)にある若手施設6件を紹介する。

「万博」×「若手」というキーワードを挙げると、1970大阪万博での黒川紀章を思い浮かべる人が多いのではないか。当時、36歳だった黒川は「タカラ・ビューティリオン」「東芝 IHI館」「空中テーマ館 住宅カプセル」の3施設を設計し、話題の中心となった。それもあって、1970大阪万博は「若手が活躍した万博」のイメージがあるが、当時の建築雑誌を見ても、黒川以外で若手といえるのは万博協会本部ビルをコンペで取った根津耕一郎(当時37歳)くらいだ。他は中堅・ベテラン勢と組織設計事務所ばかり。

 2005年の愛・地球博を見ても、目につくのは「みかんぐみ」(トヨタグループ館を設計)くらいだ。このとき、みかんぐみの中心メンバーは43歳。30代の建築家は筆者が調べた限りでは見つからなかった。

 国と開催県が先導する万博で、実績の少ない若手をバンバン起用するということは、普通は考えにくいことである。今回、公募型プロポーザルを実施して若手建築家をトイレや休憩所に起用した会場デザインプロデューサーの藤本壮介氏を筆者は高く評価している(あくまでこの件についてではあるが…)。

 前置きはこのくらいにして、出発しよう。今回は海側(南側)の6件だ。

(以下、太字部は開幕1年前の2024年5月に発表された概要データと設計コンセプト。細字部は筆者のひと言。連番は地図に対応)

⑧トイレ2(設計:小林広美+大野宏+竹村優里佳)

設計者:小林広美+大野宏+竹村優里佳 Studio mikke 一級建築士事務所+Studio on_site+Yurica Design and Architecture/主用途:トイレ/階数:平屋建/延床面積:60.54m2/構造:鉄骨造 一部 木造

【設計コンセプト】
-いのちをもつ庭-
地球の中で数百年もの時間をかけて固まった花崗岩を、400 年程前の人々が大坂城再建のために切り出し、その幾つかが利用されず、切り出した地に残されました。現代、これらの石は大坂城に運ばれなかったことで残念石と呼ばれています。本計画では、長い時を経て自然の力・人の手によってつくられた石を人間と同じように「いのちある存在」として建築に取り込み、いのちをもつ建築・庭をつくります。

建築になった際に生まれる場では、残念石と人間の距離はこれまでよりも少し近いものとなり存在感、 表情、手触り、温度など長い時間をかけて紡がれた唯一無二の生命としての力強さが感じられます。同時に400年もの前の人の痕跡が残っており、人間の力強さを感じることができます。デジタル技術を利用し石を傷つけることなく、時の記憶を持つそのままの姿で建築に取り込みます。石と大屋根によって生まれる空間は、自然と人のいのちを感じる場となります。 世界が一同に介する場で、歴史的な石を現代の建築の中に存在させ、価値を伝えていくきっかけとなることも願っています。

*今回使わせていただく残念石は1620年頃に大野山から切り出され、木津川にストックされていましたが、その後の人々が川の堤防代わりに土留として利用されていたものが1975年に発見されました。切り出された位置から何度か動かされ、現在はまたバイパス工事のために多くの残念石が別の場所に移動途中です。大野山付近にて、400年前の人々が石に残した印が見えるような形でご覧になれますので是非足を運んでみてください。

 開幕前には「残念石の使われ方が残念だ」といった批判の声が上がった。それを見て、「人の見方はいろいろなんだな」と思った。そういう声があることに異議は唱えない。が、筆者個人としては、建材というものは古来から別用途にリユースして使われてきたものだと思う。こういう再利用はむしろ建築の王道ではないか。

 これから見ようという人に知っておいてほしいのは、この石が実際に建築の構造の一部であること。概要データに「鉄骨造一部木造」とあったので、筆者は鉄骨造の本体だけで屋根を支持している(石は自立するのみ)と思っていた。現地で見たら、石の上にも屋根の支持材があるではないか。屋根を受ける大きな基礎のような扱いにしたのだろう。

 関連記事を読むと、石の上に木の接合部を載せ、その上にCLT(直交集成板)の木屋根を架けたとのこと。石を3Dスキャンし、ぴったり合う接合部を木材で製作した。宮大工が神社などの石の形に合わせて柱を加工する「光付け」と呼ばれる手法を応用したのだそう。そんなことも含めて、全く残念ではない前向きなプロジェクトだと筆者は思う。