なぜ旧宅を壊して建て替えた?無名の建築家・岡秀世とは?静かな住宅街で静かな存在感を放つ熊谷守一美術館 豊島区立 熊谷守一美術館(写真:宮沢洋、以下も) (画像1/20) 豊島区立 熊谷守一美術館の南側外観 (画像2/20) 壁に彫り込まれた蟻の絵は、熊谷守一が91歳で描いた「赤蟻」を15倍に拡大したもの。蟻や餌(?)の部分は完成当初はもっと赤かった (画像3/20) 美術館の入り口は、建物が「く」の字に折れた部分にある (画像4/20) 前面道路から見ると、2階建ての小住宅にしか見えない (画像5/20) 北側は3層だが、1階が半地下で最上階がボールト屋根なので、2階建てくらいに見える (画像6/20) 1階の展示室。展示室がコンクリートブロック積みって相当珍しい。当初はここだけが守一の作品を展示するスペースだった (画像7/20) 2階の展示室。2階は展示の他に絵画教室にも使われ、窓やトップライトから光が入った。現在は遮光している (画像8/20) 3階は設計者である岡秀世の事務所があった。現在は主に企画展示に使用。今も窓から光を入れることはできる (画像9/20) 階段室の窓。当時の記事によると、室内側のコンクリートブロックは構造材ではなく、「内装材兼コンクリート打ちのための仮枠」とのこと。「内壁として100mm厚のコンクリートブロックを先積みし、そのうえでにオムニア板と称する仮枠兼構造材のプレキャスト板を先付けし、それ等を仮枠にして壁構造のコンクリートを打設したのである。コンクリートブロックとコンクリートの間には30mm厚のスタイロフォームを打ち込み、必要な断熱性能を得ている」 (画像10/20) (画像11/20) (画像12/20) カフェから見える庭 (画像13/20) 1階は床が奥(南側)に向かって下っていく。奥へと自然に導くためだろう。これは村野藤吾の「小山敬三美術館」(1975年)の影響だろうか (画像14/20) 床の低い南側から見返す。東側の壁は曲面を描く (画像15/20) (画像16/20) (画像17/20) (画像18/20) 守一が特に好んだという池はここにあった。普通なら池だけでも残しそうなものだが… (画像19/20) 「ヤキバノカエリ」(熊谷守一、1956年、岐阜県美術館蔵) (画像20/20) なぜ旧宅を壊して建て替えた?無名の建築家・岡秀世とは?静かな住宅街で静かな存在感を放つ熊谷守一美術館 この写真の記事を読む