戦後道徳も遠い彼方、最後は「損得の価値観」だけ
「ポスト真実」の世界が欧米より遅れてやってきた日本の方が、現状はより深刻なのではないかと思う。
それは、欧米では国民主権や人権など、生きていくために必要なことを学校教育の中で教える。子どもの頃から教室で議論したりする。しかし、日本では主権者教育をほとんどやらない。三権分立について一通り学校の授業で教えても、さらっと流す程度なので、そこに陰謀論の洪水がやってきたら、ひとたまりもなく感化されてしまうのではないだろうか。
そんな私の問いかけを受け、古谷氏と辻元氏との鼎談は次のように展開した。
古谷 歯止めになるのは、例えばキリスト教的な道徳じゃないでしょうか。日本にはほぼそれがないので、おっしゃる通り、もっとヤバい。道徳もなければ情報源もないし。アメリカだって無宗教の人はいるものの、キリスト教的道徳は最後の砦になっていると思うんですよ。ハチャメチャなことをやったり、デマを言ったりはあるけれど、天国に行けないよ、神様が見ている、というのがある。それに地域コミュニティとして教会が機能していますからね。
小塚 宗教ね。
古谷 無宗教でも日本にはかつては世間体があった。お天道さんが見ているという世俗道徳がありました。でも今は、終身雇用もなければ、東京への人口流入が激しいので世間体もない。そうすると道徳もないんですよ。なんでもやり放題。法律に書いてないんだったら何やってもいいだろうとなる。その究極が立花孝志さん。
辻元 今おっしゃったキリスト教。私、NPOの活動支援をずっとやってきているわけだけど、日本ではNPOがなかなか根付かないし、寄付文化が育たない。キリスト教国では、子どもの時に教会に礼拝に連れていかれたり、地域のコミュニティやチャリティーが教会にあったりする。
アメリカでは例えば中絶禁止も、カトリックやプロテスタントの教派である福音派などの考えに則って、一つの運動になっていたりする。そうした教会に関連する事柄が身近にある。だから、日本ではチャリティーが育たず、寄付も集まらないのには、やはりキリスト教的なもの、教会的なものがないからなのかなって思ったりもしてた。
イスラム教はイスラム教で考え方があるわけだけど、おっしゃるように、日本の場合、拠り所は何なのかと。ただ、日本の拠り所として一つあったのが、戦争でたくさんの人が亡くなったということだった。身近な親族が戦争で亡くなっていたり、戦争体験をした人たちが大勢生きていた時代は、「戦争は絶対ダメ」とかね。戦争放棄の憲法もできているしね。
古谷 ある種の戦後道徳みたいなものですね。
キリスト教的な道徳がなく、戦後道徳も遠い彼方。そうなると日本は「どこまでも超世俗で行く。最後にあるのは損得の価値観だけ」(古谷氏)。若い世代のタイパやコスパ意識がそれを増長する。
暴走するSNSに対し、選挙における規制が議論され始めた。SNS投稿の収益化の制限などが俎上にあるが、選挙に絡む投稿だと誰が認定するのかは難しい問題だ。憲法で保障されている「表現の自由」との兼ね合いもあるが、このまま放置していいはずはない。