冷戦構造の崩壊と中国の改革開放
この状況に変化が起きるのは1989~91年にかけての「冷戦構造の崩壊」と、中国の改革開放政策の推進でした。
今日、全世界を席捲するIT、特に生成AIなど人工知能のテクノロジーは、この時期にウクライナなど東欧圏から米国やカナダ(昨年ノーベル物理学賞が贈られたトロント大学ヒントン研究室が分かりやすい例です)に流出した優れた資質を持つ若者が、本質的なシーズを持つ英明な指導教官を得て爆発的な成果を生み出したものです。
「移民なくしてAIなし」といっても、過言ではありません。
同様の現象はバイオテクノロジーでも、IoTセンサーなどでも、物性科学でも指摘することが可能です。
どこの国からやって来た若者でも、才能ある人をそれと認め、おかしな差別や偏見なしに、優れたものを惜しみなく与え、伸ばす過程で画期的な成果が得られる。
例えば、20世紀初頭、自身はニュージーランド生まれながら、英国ケンブリッジ大学に研究室を構え、世界からの留学生を隔てなく伸ばしたアーネスト・ラザフォードの研究室。
あるいは、デンマーク、コペンハーゲン生まれのユダヤ人ながら、そのラザフォード研で学び、のちには故郷に理論物理学研究所を建設して「コペンハーゲン学派」を立ち上げ、世界の量子物理学をリードしたニールス・ボーア。
ファシスト禍を避け米国に亡命し、祖国イタリア時代からの学生や同僚と同等以上に、インドからの移民研究者スブラマニアン・チャンドラセカール、中国からの留学生・楊振寧や李政道、日本からの訪問研究者・南部陽一郎らと自由に接したシカゴ大学時代のエンリコ・フェルミ研究室など、真の意味での「コスモポリタン」のラボが、歴史に貢献する成果を生み出しています。
私は当初こそ物理を学びましたが、結局自分の分野でラボを構えることになり、こうした学統に連なるとはとても言えません。
それでも、南部先生や楊先生が、講義やゼミナールのたびごとに黒板でその場で計算され(当然ながら計算間違いもされ、それを見て、こんな偉い人も普通に間違えるんだ!と、非常に勇気づけ?られました)、その学風がフェルミ研のスタイルであることを学びました。
フェルミはこれをドイツにあるゲッティンゲン大学のマックス・ボルン研究室や、ゲッティンゲン出身でライデン大学で研究室を主催していたポール・エーレンフェストの学風をそのまま受け継いでいることなどを、フェルミの最後の博士学生だったジェリー・フリードマンから私自身、教えてもらいました。
ゲッティンゲン大学にはダヴィド・ヒルベルトやアルノルト・ゾンマーフェルト以来の数学、数理物理の伝統があり、あらゆるセミナーの時間を無駄にせず、そこで検算もかねて計算を実行してみせるという学風が、エーレンフェストにも、フェルミにも、あるいはディラックにもファインマンにも受け継がれて、ニセモノでない創造の伝統を形作っている。
2004年、私は国連ユネスコの「世界物理年2005」日本委員会に呼ばれ、春の公式行事「アート&サイエンス」幹事などの仕事を担当しました。
このとき以来、ジェリーやトールステン・ヴィーゼルなど、(当時、内閣府で沖縄科学技術大学院大学設立のアドバイザーを務めていた彼ら)ノーベル賞を選考する側で、世界の科学技術をリードする人々の考え方、物事の進め方を知る機会を得ることができました。
これはそのまま日本国政府の「第三期科学技術基本計画」(2004-05)のアンカー執筆にも役立つことになりました。
いまだ「失われた」時間が10余年だった頃ですが、それから20年間、ずっと「失われた30年」が続いたわけで、私個人としては忸怩たる思いを持っています。
こうした(毎週のゼミナールでの、黒板での計算やり直しといった)手仕事の伝統から教えていただいて以降、我々の小さな研究室でも、国籍その他によるバカバカしい偏見とは一切無縁に、ゼミナールや授業では、資料は作ってもフリーハンドで登壇、その場の手仕事で内容を推敲、確認する習慣を守っています。
こうすると、ミスも見つけやすいし、新しいファクトに気づく機会も増えるので、生産性が上がるのです。
ちなみに私の祖父も1900年代、ミシガン大学で学びましたが、日本人という偏見を仕事の成果でひっくり返し、第1次世界大戦中にはGM(ゼネラル・モーターズ)で軍事車両を設計、戦後は川崎重工業と二重社籍になって国産自動車会社「ふそう」の設立に技術側から参加した経緯があります。
こんな具合ですから、世界の頭脳を惹き付ける魅力的な風土を失えば、米国の研究開発は早晩、凋落していくのは間違いありません。
トランプ政権の「ハーバード自爆」は、1933年ナチスのドイツ政権奪取から続いた、米国の科学技術グローバル覇権に終止符を打つことが「期待」されます。
これは日本にとっては、またとない好機です。
願うらくは、この「トランプ自爆」が5年10年と続き、ナチス時代のドイツ同様にガタガタになる経緯で、日本の科学も技術も、文系の学術も含めて、世界をリードするイニシアティブを取り戻したいところです。
1980年代以降負け続けてきた「失われた30年」に終止符を打つ、好機に転じることができたら、と正味で思います。
そうなるためのポイントは、日本人自身が、内向きの島国根性で自滅することなく、積極的に世界の若い可能性に門戸を開く、そういうマインドセットに脱皮することが条件になります。
私の見るところ、いまの東大にはその力がありません。少なくとも「ピンク接待?」くらいは自浄作用できちんと処理できるようにならないと、コンプライアンスの初歩段階で、ゲームに参加できません。
我が国の高等学術セクターを概観するに、覇者たる東北大学を筆頭に、日本の優れた風土を持つ高等学術機関が、コスモポリタンの研究開発環境を再度確立し、ゲームチェンジャーの役割を担う好機をモノにすることに期待します。
東大も、実力なりに、それに付いて行けたら何よりだと思うのですが、どうなるかは自覚と体質改善の成否にかかっていると思います。