谷津が感じた鶴田と天龍のプロレスの違い

 全日本の選手たちに親近感を持っていた谷津は全日本スタイルのプロレスをどう感じていたのだろうか?

 「やっぱり新日本のプロレスは通じないよ。スタイルが違うって言ってしまえば、それまでなんだけど、全日本のプロレスは新日本ほど単純じゃないんですよ。全日本は組み立て方が何パターンもあるじゃないですか。面倒くせぇなとも思ったけど、全日本の試合のほうが本当のプロレスだと思ったね。新日本はパパパッて終わっちゃうから、何も考えることがないんだけど、全日本は客席の隅々までを考えてじっくりと見せるプロレスだからさ。あとはジャパンより全日本の連中の方が大きかったっていうのもあるよね。やっぱり大きいっていうのは最大の武器だよな。連中の動きはゆったりして遅く見えるんだけど、ひとつひとつの技が重いの。で、実際は動き回っている小さいほうが体力を消耗しているから」

 鶴田vs谷津が実現したのは85年2月21日、大阪城ホールにおけるジャパン主催興行の『ジャパン・プロレスvs全日本プロレス全面対抗戦』。メインが長州vs天龍(長州がリングアウト勝ち)、セミがキラー・カーンvs馬場(馬場が反則勝ち)で、鶴田vs谷津はセミ前に組まれた。当時のジャパンの選手の序列からすると、谷津と対戦する鶴田がセミ前の試合になってしまうのは仕方のないことだ。

 試合は谷津のドロップキックの奇襲という、いかにも対抗戦らしいスタートとなったが、その後はバックの取り合い、谷津がレスリングの飛行機投げからグラウンドへと移行して執拗なヘッドロック。これを鶴田が低位置からのバックドロップで返すなど、普段の対抗戦のガチャガチャした攻防ではなく、濃厚な戦いが続いた。

 次第に鶴田が身長差を利して試合を掌握。谷津の得意技スクープ・サーモン(パワースラム)をカウント2でクリアし、場外戦に転じると、場外のマットの上でダブルアーム・スープレックス、そしてエプロンに上がってきた谷津をジャンピング・ニーパットで吹っ飛ばして11分23秒、リングアウト勝ちをさらった。

85年2・21大阪城ホールで実現した鶴田vs谷津