ただオーストリアのウィーンのユースホステルで、到着した時間が遅かったためか、けんもほろろの扱いをされ、閉め出されたことがある(その晩は、しかたなく近くの公園のベンチで寝た)。
もうひとつ、ロンドンの通りを歩いていると、数人の男たちが乗ったオープンカーがスピードを落としてわたしと並走し、「コリャコリャ」とかいった。意味がわからず無視していると、すぐ走り去った。
わたしは意味がわからなかったが、ヤジを飛ばされていることだけはわかった。あとで、気づいたのだが、かれらは「コリア(韓国人)、コリア」といってたのではないか。
あからさまに、ジャップといわれた記憶はない。よく報じられるように、吊り目のジェスチャーをされたこともない。
偏見の元は無知
人種差別はなくならない。
人種差別にかぎらず、差別全般は決してなくならない。しかし昔と比べると、随分減っているのではないかという気がする。
差別の根本に偏見があるとするなら、偏見の元となる無知が、昔と比べてかなり減っていると思われるからである(差別に対する社会的制裁も厳しくなっている)。
無知が怖いのは、簡単に謬見(びゅうけん、まちがった見方や意見)につけこまれて、偏見をもつようになるからである。
人間は自分で思っているほど、賢くない。簡単に謬見に支配されてしまう。
正直にいうと、わたしは韓国人と中国人に偏見を持っていた。
けれど韓国映画や韓国のテレビドラマを見て、随分と偏見が是正された。さらに「JUJU」という韓国人のユーチューバーの動画を見て、こういう真っ当で穏健な韓国人もいるのかと思った。
わたしの韓国に対する偏見は、わたしの無知が原因だったとわかった。その無知が、韓国の反日政策(反日勢力)の報道によって毒されていたのである。
しかし、まだ中国人に対する偏見はそのままである。
(文中敬称略)