アメリカの貿易赤字が拡大していくと、貿易摩擦や保護主義が頻発することになった。
そこで、GATTの機能強化のため、1995年にはGATTはWTOに改組された。
WTOは、アンチ・ダンピング関税措置(AD)、相殺関税措置(CVD)、セーフガード措置(SG)などを導入し、不公正貿易に対する歯止めとしたが、これらの措置の濫用が保護主義を招くこともあった。
2008年のリーマンショックの際には、世界が連帯して反保護主義の方針を堅持した。
2017年に第一次トランプ政権がスタートしたが、安全保障上の理由や、通商協定違反を問題にして、関税をはじめとする保護主義的な施策を展開した。
車をハンマーで叩くことの意味
私はレーガン政権下のアメリカを体験しているが、「強いアメリカ」を復活させるために軍事費を増やした。また、高金利・ドル高政策は、巨額の貿易赤字を生んだ。
貿易赤字の拡大の理由の一つは、アメリカ製の家電製品や車の性能が低下し、日本製品との競争に敗れたことにある。日本車の攻勢に抗議するために、UAW(全米自動車労働組合)の組合員が日本車をハンマーでたたき壊したシーンは、今でも報道番組で流されている。

しかし、当時のアメリカの良識あるマスコミは、「そんな暇があったら、まともな車を作ってみよ」と批判していた。新車のアメリカ車のドアの内装をはがしてみたら、中にコーラの空き瓶が捨てられていたケースが見つかったことを今でも記憶している。
当時も日本の非関税障壁が問題になったが、それよりも狭い日本の道路に合った、右ハンドルの車を作ることが必要だったのである。その後、40年余にわたって、この点が改善されないままである。ヨーロッパの車は、日本人のニーズに対応しているので、日本でもよく売れている。
第二次世界大戦後、GHQは日本の自動車生産を禁止していたが、1949年にそれが解除された。1955年には、トヨタが純国産のトヨペット・クラウンを誕生させた。
この頃の日本の自動車は、アメリカの技術者にやはりハンマーで叩かれた。それは、ハンマーで叩いてもへこまない堅牢な作りだったからだ。「こんなに重い車では坂道を上がれないよ。もっと、軽くて柔らかい車にしなければ駄目だ」ということを教えるためだった。アメリカの黄金時代の車は、世界中の人々の憧れの的であった。
このハンマーの意味の変遷を、アメリカにもしっかりと認識してもらいたいものだ。
日本車の攻勢に負けて、貿易赤字が膨張したとき、アメリカが採用したのが、ドル安政策であり、1985年のプラザ合意である。
しかし、関税や為替操作でアメリカの製造業が復活するわけではない。それは、歴史が雄弁に語っている。