IMFとGATT
世界は、歴史の反省から、第二次世界大戦後には自由貿易を促進することになり、1947年にはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)を成立させた。順次関税の引き下げが行われ、世界経済は拡大していった。敗戦国の日独伊も、その恩恵を受けて、奇跡の経済復興を遂げたのである。
関税と並んで、保護主義の道具として使われるのが通貨である。人民元安について先述したが、自国通貨を切り下げれば、輸出を促進し、輸入にブレーキをかけることができる。
保護主義的な通貨の操作もまた、第二次世界大戦の遠因であった。そこで、そのような愚を繰り返さないために、1944年7月に米ニューハンプシャーのブレトンウッズに連合国44カ国の通貨担当者が集まって、戦後の金融システムについて議論した。
この連合国通貨金融会議において、「アメリカのドルを基軸通貨とすること、ドルは1オンス=35ドルで金と兌換できること、ドルと各国の通貨は一定の交換比率(為替相場)に固定すること」が決められた。これがブレトンウッズ協定である。日本の円は、1ドル=360円に固定された。為替レートが動かないように固定相場制にしたのである。
そして、1945年には、通貨の安定に必要な資金を融資するために国際通貨基金(IMF)を、戦後復興のための資金を供給するために国際復興開発銀行(IBRD)を設置することが決まった。前者は1947年に、後者は1946年に営業を開始した。
このブレトンウッズ体制の目的は、世界経済を安定させて、二度と世界大戦を起こさないことであり、戦後の復興と経済発展によってその目的は達成されたと言ってよい。
ベトナム戦争による財政の危機に直面して、1971年、ニクソン大統領は、金とドルの兌換を停止したが、そのためドルの価値は下がり、変動相場制に移行した。ドルを基軸通貨とするアメリカ主導のブレトンウッズ体制が終焉したのである。
この間、アメリカの経済援助のおかげで日本や西欧諸国は戦後復興を遂げ、経済成長を謳歌できるようになったが、それもアメリカの地位の相対的低下を招いた。日本や西欧からの製品輸入が増え、1971年にはアメリカは100年ぶりに貿易収支が赤字になったが、このこともドル防衛に走った原因の一つである。