記念塔はコンクリート打ち放し。アントニオ・ガウディも用いた「双曲放物面」という曲面でできている
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設置の主旨を説明した銘板
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次第に入館者が減少し、1994年に閉鎖。その後は長く廃墟状態となっていた。2002年に藤森照信・丹下健三共著による書籍『丹下健三』(新建築社)に掲載され、建築界で知られるようになった。南あわじ市が施設を買い取り、再整備。2015年に「若人の広場公園」となった。
香川県産の庵治石(あじいし、花こう岩)を用いた石積みの壁が丹下建築では珍しい。改修前は傷みが激しかったため、取り外して積み直した。改修設計は丹下都市建築設計(現・TANGE 建築都市設計)が担当した。
記念塔へと庵治石の壁が続く
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管理棟と呼ばれる建物には、動員学徒遺品の展示や、パネル展示などがされている。平面に対して斜めに架かるコンクリートのボールト(アーチを連続させた曲面)が印象的だ。
管理棟の室内
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