下世話な報道よりも皇室が恐れているであろうこと

河西:皇室には、国民からの「人気」と「興味」が必要不可欠です。何もなく、国民から忘れ去られてしまうことは、日本の天皇制の存在そのものを脅かします。

 そういった観点から、週刊誌であれテレビであれ、露出して自分たちの存在をアピールしていく必要があります。国民に皇室の存在を意識してもらい、その重要性を訴えかけていくことも、自分たちがすべき仕事の一つだと考えている皇族もいるのではないでしょうか。

 皇室とメディアは、ある種の共存関係にあると私は思っています。

──小室眞子さんのように、国民に「忘れて」もらいたい元皇族もいるのではないでしょうか。彼女に対する報道について、どのように感じていますか。

河西:もともと、皇室報道は宮内庁とメディアが阿吽の呼吸でやってきたようなところがありました。ところが、平成に入ると、先ほどお話ししたようにメディアが皇室を消費的に報道するようになりました。

 その中で、宮内庁とメディアの阿吽の呼吸が崩れてしまったように思われます。今では宮内庁が、メディアの報道に対応できずに放置してしまっている状態です。

 昭和の時代であれば、宮内庁が動いてメディアと折り合いをつけるような内容の報道も、垂れ流しにされています。

ニューヨーク行きの飛行機に登場する眞子さまと小室圭さん(写真:AP/アフロ)ニューヨーク行きの飛行機に登場する眞子さまと小室圭さん(写真:AP/アフロ)

官僚化する宮内庁の問題

河西:先ほど、報道機関側の記者のローテーションの話をしましたが、それは宮内庁も同様です。もともと宮内庁は官僚組織であり、昨今ではそれが色濃くなっているようです。宮内庁に配属されても、数年で他省庁に異動になるとわかっているのであれば、「皇室はどうあるべきか」ということを長い目で見て考えるようなことはしないでしょう。

 メディアと宮内庁がうまく嚙み合っていないという現状もあり、小室眞子さんをはじめとする皇室関係者の報道は消費的な方向に走りがちになっていると思います。

──昭和の時代の皇室報道は、どのようなものだったのですか。

河西:昭和は非常に長く、第二次世界大戦もありましたので、皇室とメディアの関係はその時々の潮流に合わせて変化してきました。

 ここでは、1960年代前半に起こった象徴天皇制とメディアを巡る3段階の事件について説明します。