一方で改正法案の課題は?

 ただし、2項がクセ者だ。政令で標準額を定め、国が負担する額を交付するとするが、この「標準額」の金額次第では現状と大きく変わらない可能性すら残されている。しかも3項で、「できる」規定として保護者負担の可能性にも言及している。肯定的に捉えるなら給食の独自性や裁量の余地を残しているともいえそうだが、法案の通称と異なり「完全無償化」が骨抜きになる要素が残されているともいえる。

 また一部の媒体も指摘しているが、すでに生活保護世帯だけではなく、幅をもたせるかたちで準要保護世帯なども無償化が実施されているときに、「給食無償化」が「必要」か?というそもそも論を立てることもできるだろう。

 実際の各地域の給食費はそれぞれの地域の教育委員会が評価、調査のうえ決定する。近年引き上げ傾向にあるが例えば低学年、高学年によって金額を変えたり、経過措置を取り入れるなど試行錯誤が続いているようだが、根本的な処方箋は見つかっていない印象だ。

 無償化、現状の地域格差やそもそも月額給食費≒一食あたり費用の算定が安すぎるのではないかという問題が現状維持のまま固定化されるとすればむしろ問題ではないか。

 もっともうがった見方をするなら、昨今の「手取りを増やす。」政策とキャッチフレーズの流行に各政党が飛びついただけで、給食費の地域差や質量に直結する月額費用と負担のあり方という地味で、細かい議論を避けているようにも見えてくる。

 所得の「壁」の議論もそうだった。所得税と社会保険料という所掌の省庁と根拠が異なる規制が絡み合うなかで、今のところ特定扶養控除の金額引き上げが強調されるが、対象となるのは19歳から23歳までの特定扶養親族がいる世帯に限られているし、基礎控除と給与所得控除の引き上げ幅も両者に分割され、適用税率等の影響でキャッチフレーズから受ける印象と実際の減税のあいだの乖離が懸念される水準にとどまりそうだ。

 冒頭で述べたように、飢える子どもがいてはならない。子どもたちはお腹いっぱいになる権利を有している。

 それらを前提にするのであれば、野党提出で鳴り物入りの「給食無償化」にはさしあたり同意できるとしても、やはりまだ不満足だ。ある意味、野党が単にキャッチフレーズ政治を行いたいのか、それとも国民益を考えているのかを問う試金石でもある。

公立小中学校の給食費を原則無償化する学校給食法改正案を衆院に提出する立憲民主党の城井崇衆院議員(右端)ら=23日午後、国会公立小中学校の給食費を原則無償化する学校給食法改正案を衆院に提出する立憲民主党の城井崇衆院議員(右端)ら=23日午後、国会(写真:共同通信社)

 政治は単に国民に阿ればよいというわけではない。国民が十分認識していない問題解決にも貪欲であるべきだ。むしろそちらのほうが重要ともいえる。我々も目先の「給食無償化」のキャッチフレーズに一喜一憂するだけではなく、給食についての理解を深めながら、「給食無償化」とその行方を注視したい。