アノーラのシンデレラ・ストーリー
親の巨万の富にフリーライドして、ゲーム、パーティ、マリファナと、どこまでも自分勝手に振る舞うイヴァンだが、このキャラクターを演じるマーク・エイデルシュテンのキラキラとした少年のような瞳と野生動物のような挙動、チャラチャラとしながらも人懐こい感じがどうにも憎めず、ああ、富による自由とはこういうことを言うのか、金があるから悪い奴というのは貧乏人の嫉み(というか一縷の望み)に違いない、という妙な納得感のあるキャラクター造形で見るものを楽しませる。
イヴァンが、どこまでアノーラを愛していたかはわからない。というのも、イヴァンは厳格な両親から逃れるためにアメリカ国籍を欲しているからだ。
筆者は10年以上、アメリカで暮らしているが、永住権ビザ取得のために結婚したと明け透けに言う人や、結婚時の面接で偽装がバレて結婚できなかった話、さすがにアノーラとイヴァンのように4カラットのダイヤモンド・リングで結婚のディールをしたという話は聞いたことがないが、数千ドルでディールしたという話は身近な人から聞いたこともある。
金銭だけでなく国籍や美貌、あらゆる価値が「ディール」の原資になる世界では、今の恋愛感情が金銭のためのものでないと信じることは簡単ではないし、アノーラとイヴァンの関係でもそれは免れ得ない。その点で、本作ではこの圧倒的な「階級」が次から次へと表情を変えて現れ、二人の関係を二転三転とさせていく。
映画批評家のデニス・リムが述べるように、アメリカ映画が「階級」を扱うことはあまり多くはない。本作の物語の中心がどれだけハイテンションなラブストーリーだとしても、その前提となる2人の格差=シンデレラ・ストーリーを描いたからこそ、本作がコメディ映画であると同時に時代のリアリティを捉えた現代映画にもなり得たのだ。