欧米を追いかけてきた日本の自動運転開発

 自動運転に関する変遷を振り返ると、2000年代に米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA:発音はダーパ)が実施した、自動運転車コンテストがその後の自動運転の実用化に向けた大きなきっかけだった。

 同コンテストは合計3回開催されたが、その参加者が大学で学内ベンチャーを立ち上げたり、大手IT企業や欧米や中国の自動車メーカーにスカウトされたりして、自動運転の量産開発が加速していった。

 この頃までは自動運転の量産化に向けた、実質的な創成期だと言える。

ホンダが示した、いわゆるロボットタクシー構想の説明の一部(写真:筆者撮影)

 日本もそうした世界の動きに遅れまいと、内閣府が中心で進める国家プロジェクト「SIP(戦略的イノベーション創造プログラム」の中で2期、9年半にわたり自動運転の産学官連携を推進した。

 その結果、高精度3次元地図の実用化、ホンダ「レジェンド」による世界初の自動運転レベル3の量産、国際協調、そして人材開発など数多くの成果を上げた。

 SIPの自動運転プロジェクトの幹部は、同プロジェクトが終了する際、「日本は欧米に比較して周回遅れだったが、やっとこのレベルまで来た」と感無量の様子だったことを思い出す。
 
 それが今、先ほど指摘したような大きな転機を迎えている。