先日、東海地方の青年会議所が主催した地方自治をテーマにしたシンポジウムにパネラーとして参加しました。他にパネラーとして愛知県の大村秀章知事や三重県の鈴木英敬知事、参議院議員の三原じゅん子さんなどが参加されていました。
その中で、3月の大地震を受けて、災害対応についての国と都道府県、市町村の役割分担についての議論がありました。
最初に私がコメントを求められたので、市町村の役割として、(1)災害が発生しないように備えをすることと、(2)災害が発生した場合に速やかに住民の安全を確保する仕事があることを詳しくお話ししました。
「災害が発生しないように備えをする」ことについては、このコラムでもすでに述べている通りです。昔の人は、川の堤防のすぐそばなどに決して家を建てませんでした。そうした場所に家を建てられないように都市計画を運用することが大事であることをお話ししました。
愛知県の大村知事は私の発言を受けて、江戸時代の名古屋の街づくりのお話を披露されました。
名古屋に城下町が移されるまで、尾張の中心は清洲にありました。織田信長の本拠地だったところです。ところが、清洲は水害の被害を受けやすいところだったので、安全な土地、すなわち今の名古屋城があるところに城を移し、城下町の整備を進めたのだそうです。
このような、できるだけ安全な土地に町を造るという昔の人の知恵は、今ではすっかり忘れ去られています。しかし、今回の地震をきっかけとして、地方自治体は「安全な街づくりは立地から」という観点で、都市計画をもう一度考え直す必要があります。
高額な「はしご車」を共同で利用する
災害が発生した場合の市町村の役割として、住民を救助することや、被災者に避難所などを速やかに提供する仕事などがあります。
そのための消防機器の整備や、食料・毛布などの備蓄をどこまでするのかについて、財政難の行政はとても難しい判断を迫られるだろうということも、お話ししました。
乾パンや水などの備蓄は大した費用ではありませんが、海岸の堤防をさらにかさ上げして津波にも耐えられるようにしていくには、莫大なお金がかかります。また、消防関係の機器をどこまで整備するかということについても、財政規模の小さな自治体にとってはとても頭の痛い問題です。