月1回の「獄中日記」が心を保つ一つの柱

河井:刑務所の中にいると、外に手紙を出すことも著しく制限されます。私は服役中に父を亡くしたのですが、亡くなる間際に手紙を送ることもできませんでした。月に2回か3回だけ手紙を外に出すことが許されて、1回あたり便箋7枚程度の分量です。

 パソコンなどもちろんありませんから手書きです。途中で少し書き間違えたり、構成を変えたりすると、最初から全部書き直さなくてはならない。最近はだいぶ良くなりましたが、人差し指にペンだこができて、いつも熱を持っていました。

 お世辞でもなんでもなくて、私は花田編集長に本当に感謝しています。刑務所の中に入っていると、どうやって心を保つかということがとても重要です。私の場合は「月刊Hanada」に「獄中日記」を毎月書くことが、心を保つ一つの柱でした。

東京拘置所に移送される河合克行氏(写真:共同通信社)東京拘置所に移送される河井克行氏(写真:共同通信社)

──河井さんの有罪が決まり、その後、ご夫婦の関係は破綻してしまったのではないかと想像したりもしましたが、この本を読むと、全くそうではないことが伝わります。

河井:妻には言葉では言い尽くせないくらい、本当に申し訳ないことをしたと思います。彼女は完全な冤罪ですからね。私を引っかけるための材料として使われたのではないかと思っています。

「なんであんなことをしたの、私がちょっとでも聞いていたら絶対に止めていた」「もうお金で政治が動くような時代じゃないってさんざん言ってたでしょ……」と事件が表面化した後、妻から強く叱られました。

 確かに、2001年に結婚した頃(当時、私は落選中だったのですが)から、妻は一貫して「今はもうお金で人様の心を動かすような時代じゃない」「もうそんな選挙はできっこない」と言い続けていたんです。

 ですから「私の言った通りでしょ」「本当に要らないことをして!」と、あの時はもの凄く叱られました。でも、大きな声で怒られたのはその1回きりでしたね。