MADのアートワークを担った、サカグチケン

 MADを語る上で、音楽と同様に外せないものはアートワークだ。なんと言っても、初期ライブのバックドロップに使用されていた赤地に黒地のロゴのインパクトは大きかった。メンバーも着用していた腕章やCRA¥のベースに貼られていたステッカーなどのグッズ、そしてセルフカバーアルバム『THE MAD CASPULE MARKET’S』のジャケットにもなったバンドのシンボルである。そんなロゴやジャケットを始めとしたアートワークを担当していたのが、デザイナーのサカグチケンである。アナーキーからBUCK-TICKやhide、LUNA SEAなどのアートワークも制作している氏のセンスも、MADの同シーンへの繋がりを感じるところだ。

 爽やかなビーチかと思いきや、「こちらのジャケットはごみ箱にお捨てください。」というメッセージとともに死体で覆い尽くされたビーチのジャケットが顕になる『P・O・P』、焼け爛れた石像の『カプセル・スープ』というジャケットをはじめとし、ミュージックビデオなど、MADの視覚的な世界観構築に大きく貢献している。

 アルバム『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年9月リリース)以降、そのデジタルロックな音楽性とともに“DIGIDOG”や“WHITE CRUSHER”といったオリジナルキャラクターによる、メカニカルデザインがアートワークの主流となった。このデザインを担当した土井宏明(POSITRON)はサカグチケンファクトリー出身のデザイナーである。

「THIS IS MAD STYLE」(2001年)

 ちなみにWHITE CRUSHERのアートワークが印象的なアルバム『010』(2001年7月リリース)で初期MADを意識した「THIS IS MAD STYLE」のギターを弾いているのは、室姫深である。

MAD流ミクスチャーロック、極まれり

 そして、MADの方向性を決定づけたのがシングル「神歌KAMI-UTA」(1995年12月リリース)だ。ギターとベースによるヘヴィでシンプルなユニゾンリフに、捲し立てるラップスタイルのボーカルが炸裂していく。そして『4PLUGS』(1996年1月リリース)は、そうしたMAD流ミクスチャーロックが確立されたアルバムである。

「神歌KAMI-UTA」(1995年)

 本作を掲げたツアーでは、藤田タカシ(Gt/DOOM)をサポートに迎え、ツインギター編成による重厚感のあるヘヴィグルーヴへ向かうプロダクトになった。同時にCRA¥改め、TAKESHI“¥”UEDAは、ブリッジ付近でベースをピッキングするパンクスタイルから、ネックを立ててラフにストロークするような独自のプレイスタイルへと大きく変わっている。それは彼のリズム解釈の変化でもあり、同時にリフ主体となったバンドアンサンブル、グルーヴにおける進化でもあった。

 こうしたTAKESHIによるヘヴィグルーヴへの探求は、UKニューウェイヴなスタイルを持つISHIG∀KIとはベクトルが異なるものであり、結果としてISHIG∀KIはバンドを去ることになる。「身を引き締めるため」と、レコーディング時から常にスーツを纏っていたISHIG∀KIは、そのファッションと佇まいもヴィジュアル系シーンとの親和性が高かった。彼が抜けてからのMADはファッションもストリートスタイルを強めている。

 その後のMADはデジタルと生身のグルーヴを変幻自在に使いこなし、他の追随を許さぬ、ラウドでヘヴィなデジロックバンドとしての道を突き進んでいくのである。