前衛的なサウンドに傾向していく変革期

 ビクターからリリースされたコンピレーションアルバム『DANCE 2 NOISE』は、セカンド・サマー・オブ・ラブといったイギリスから起きたレイヴカルチャーに対する日本のアーティストからの回答、と言った趣で、1991年の『001』から1993年の『006』までリリースされた。BUCK-TICKやLUNA SEAの面々や町田町蔵にサエキケンゾウといった錚々たるアーティストが参加した、日本のロック史上類を見ないほどの異彩を放っているコンピレーションシリーズである。

 MADは『002』(1992年3月リリース)に参加。生演奏はボーカルとギターのみという、デジタルノイズチューン「JAPANESE SIGHT」で参加。これ以降、サンプラーやシーケンスの導入、ボーカルやスネアにディストーションをかけるなど、前衛的な試みがMADサウンドの大きな特徴になっていく。

 ミニアルバム『カプセル・スープ』(1992年7月リリース)では、そうした前衛さが加速。ギター&ベース弦を押さえる指の擦れるノイズを効果的に使った「セルフコントロール」、ギターのピックスクラッチノイズに声を混ぜた「G・M・J・P」、ギターを1弦ずつ6回に分けてレコーディングし、それを同時再生することで無機質なコード感を演出した「JESUS IS DEAD」など、斬新すぎるレコーディング方法が取られ、ノイジーかつ人工的な歪みを持ったISHIG∀KIのギターサウンドが際立っている。

「G・M・J・P」(1992年)

『SPEAK!!!!』(1992年11月リリース)は、ロボット声のような紅麗改め、CRA¥とKYONOの掛け合いボーカルが印象的な「システム・エラー」を筆頭に、「GOVERNMENT WALL」や「PUBLIC REVOLUTION」といった、BERRIE時代からの人気ナンバーのリファインも多く収録されている一方で、前作からの前衛的サウンドはYMOのカバー「SOLID STATE SURVIVOR」で遺憾無く発揮され、バンドとして意欲的な部分をも感じられる作風だ。しかしながら、本作までは所属レコード会社との関係性がうまくいっていなかったことを後年に明かしている。

SOLID STATE SURVIVOR(1992年)

 そして制作ディレクターとして、SOFT BALLETやLUNA SEAを手がけていた関口明氏が就任することで状況は大きく変わる。『MIX-ISM』(1994年1月リリース)は初のロンドンレコーディングを行い、タイトル通りの様々なジャンルがミックスされた作風へと深化した。またメディア露出も急速に増え、ファン層の拡大に繋がっている。

 同作のツアーファイナルには初のホール、渋谷公会堂公演を開催。モッシュやダイブに加え、ステージに向かって唾を吐くなど、パンクバンド特有のノリを持ち、行きづらかったMADのライブハウス公演を敬遠していた層の取り込みに成功した。同渋公公演には従来のパンクスに加え、BUCK-TICKやhide経由でMADを知った黒服層も多数来場し、カオティックな様相を呈していたことをよく覚えている。

 そこからBUCK-TICK『SHAPELESS』や『LSB』への出演、そしてSOFT BALLETのアルバム『INCUBATE』(1993年11月リリース)にISHIG∀KIとCRA¥が参加するなど活動の場所を広げていく。

SOFT BALLET 「PILED HIGHER DEEPER」 (1993年)
ギター:ISHIG∀KI、ベース:CRA¥

 さらに『DANCE 2 NOISE』から誕生した、今井寿とSOFT BALLETの藤井麻輝によるスーパーユニット、SCHAFTの1stアルバム『SWITCHBLADE』(1994年9月リリース)にCRA¥とMOTOKATSU(宮上元克)が参加。ライブサポートも務めている。

SCHAFT「ARBOR VITATE」(1994年)
作曲:藤井麻輝、Raymond Watts、CRA¥

 BUCK-TICKイベント『SHAPELESS』で披露された新曲が「HI-SIDE(HIGH-INDIVIDUAL-SIDE)」だ。ヘヴィなグルーヴとラップスタイルのボーカルが絡む、いわば“ミクスチャーロック”が誕生した。“ミクスチャーロック”は和製英語である。海外ではラップメタルという新機軸が誕生しつつあったわけだが、これまではどこかコメディ要素もあった日本語ラップをこれほどまでに格好良くまとめ上げたのはMADが初めてだったのではないだろうか。と思えるほどに、当時盛り上がってきたラウドミュージックシーンは“「HI-SIDE」のような曲”で溢れかえった。

「HI-SIDE(HIGH-INDIVIDUAL-SIDE)」(1994年)

 こうしてMADは、ヘヴィなグルーヴと攻撃的なサウンドプロダクト、刹那メロディとキャッチー性が絡み合う初期〜中期MADの最高傑作との呼び声も高い『PARK』(1994年10月リリース)を作り上げた。