孫の見るものが見たいとプレゼントしたカメラを選んだ祖母だったが、孫はとうにカメラを手放し、新しくカメラを手に入れたのは見知らぬ老人だった。最初はがっくりしたおばあさんだが、そのおじいさんと一緒に旅する喜びに目覚め、共に目にする風景に癒されていく「カメラ」。

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 野球チームのピッチャーとして活躍する息子が中学最後の公式戦で闘う姿を一目見ようとロージンバッグの白い粉、ロージンになった母親。ロージンバッグではなく、ロージンにしたため、飛び散って、みるみる消えてしまう。年頃の我が子を思う母親の胸中が爽やかな「ロージン」。

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 映画は原作の短編小説集にある11編のうち、4作をピックアップし、映像化している。そのチョイス、並べ方に監督らしい軽妙さがあり、小説とは違った楽しみ方ができて、面白い。

死を乗り越えるため、ほんのちょっとのユーモアを

 原作は叙情的で時に生々しくもある。モノとなって、これまでとは違う視点でこの世に舞い戻ることができるという設定に救われるが、亡くなってしまった人に思わず、同情してしまうエピソードも。

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「カメラ」のおばあさんこそ、天寿を全うしている感じがしないでもないが、この世に未練がある人たちがモノに取り憑くのだから、どのエピソードも本来なら、相当、辛いはず。ところが「トリケラトプス」、そして「ロージン」に至っては、クスッと笑ってしまう。娘の東監督が原作にカラッとした独特のおかしみを加えているからだ。

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 映画『お葬式』を例に出すまでもなく、人は誰かの死を乗り越えるとき、笑いがなくてはやりきれない。まさか、この映画の登場人物たちのように、自分が自分の死を乗り越える場合があるのだろうか。その時もまた、笑いが必要なのかもしれない。

「青いの」は幼い子が亡くなっているだけにどうにもしんみりとしがちである。が、最後の最後で映像ならではの思わぬ仕掛けが待ちかまえている。原作を読んだ監督は、男の子をひとりぼっちにしたくなかったから、この展開にしたそうである。その優しい思いに胸がいっぱいになる。

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