ベンチ入りが叶わなかった先にあるもの
このことへの批判の声は多い。ただ、私自身の考えは少し違う。
彼らは自らの意思で強豪校の門を叩いたはずだ。強豪校でレギュラーをつかめば、その先に甲子園、あるいは大学や社会人、プロで野球を続けるチャンスも待っている。そんな目標を持って飛び込んだ世界は狭き門でもあり、厳しいサバイバルが待ち受ける。
野球は努力だけで超えられない“壁”も存在する。どれだけ練習しても、スピードボールは投げられない。打球を遠くへ飛ばす能力も天性のものが必要だったりもする。それでも、競争を勝ち残るために努力を重ね、最後の夏を前にして、ときに非情な結果を受け入れなければならない。
では、そこで勝ち残れずにベンチ入りできなかった球児は不幸か。
私は、その先を見たいと思っている。
必死に練習しても目標に届かなかったとき、燃え尽きて終わるようでは意味がない、と。野球で「そのときは」勝てないとわかったとき、“セカンドキャリア”(あくまで私のイメージだが球児たちの熱量は、一つ目のキャリアを終えた、くらい強い思いがある。ゆえにここでは”セカンドキャリア”と表現させてもらう)をどうするかを見据える球児の将来は明るいはずだ。
それこそ、野球がすべてではない。私の高校でも、途中からマネージャーとしてチームを支えながら、勉強して京都大へ進学した後輩がいる。弁理士として活躍する後輩もいる。他の高校でも、野球ではプロになれなかったが、社会人として成功しているビジネスマンもたくさんいる。
彼らが口を揃えるのは「高校野球があって良かった」という一言だ。
試合に出られるか、出られないかではなく、野球を通じて学んだことを次に発揮できる球児にとって、決して控え選手で過ごした時間は無駄にはなっていないと思う。
「試合に出られないのは問題だ。ほかの高校へ転校できる制度があってもいい。控え選手だけのリーグ戦を作ればいい」などの声を聞く。その声に反対はしない。こうした制度があれば、球児の選択肢は広がるだろう。
ただ、それは、“外野”が言うことではない。高校生には意思がある。強豪校でもまれる経験だって、立派な財産ではないだろうか。
高校野球の先に現役を続けられる選手は少ない。
甲子園に出ても、プロになれるわけではない。高校球児は、誰でもいつか、“セカンドキャリア”を考える時期にぶつかる。ベンチに入れなかった球児たちは、社会人の“出世争い”や“ビジネス競争”を先取りしているともいえる。
悔いなくやりきったという思いがあれば、高校野球を“卒業”した先に新たなチャレンジもできるはずだ。
わが母校の京都成章は京都大会の1回戦で今夏の優勝校・京都国際に3対0で負けた。いわゆる初戦敗退だ。その負けた3年生が京都国際のアルプスに足を運んだ。印象的だったのが、京都成章のポロシャツを着て応援していたのだ。京都国際の小牧憲継監督が京都成章のOBというのもあっただろうが、それよりも「この場に立ちたかった」という思いがあったはずだ。
それだけではない。「うらやましい」とか「悔しい」という気持ちもあっただろう。
アルプス席からチームメートに精一杯の声援を送った球児たちに、「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかけたい。
そして、3年間の悔しさを次にぶつけて、自らの人生を切り開いてほしい。人生はこれからのほうが、はるかに長い。この夏、完全燃焼をしたすべての球児に、心からエールを送りたい。