岸田は世襲政治家で3代目に当たるが、私は、彼の父親の岸田文武議員と宮沢喜一首相と食事を共にする機会があったが、お二人とも宏池会を代表するような育ちの良い「お公家」であった。岸田文雄も、その系譜の中にある。

外務大臣としても国民の記憶に残らない

 2009年9月に民主党が政権に就いたが、2012年12月に自民党は政権に復帰し、第2次安倍政権が誕生した。岸田は外務大臣に就任し、第3次安倍内閣・第3次改造が行われた2017年8月3日まで、その地位にあった。河野太郎が後任外相になったが、実に4年半以上も日本外交の舵取り役だったのである。

 これだけ長い期間にわたって外務大臣を務めたら、普通なら「岸田外交」と呼ばれるような実績が積み重ねられるはずである。しかし、そのようなことはないし、岸田が首相になる前に外相だったことを覚えている国民もあまりいない。ここでも、驚くべき存在の軽さなのである。

 要するに、外務官僚の敷いたレールを踏み外すことなく、進路を定めていくので、官僚は大歓迎なのである。

 さらに言えば、安倍首相が外交で指導力を発揮していたので、秘書官のように静かに控えている岸田外相は、安倍にとっては好ましいかぎりであった。