ロシアによるウクライナへの進攻、イスラエルによるガザ地区への空爆など、ここ数年、世界各地で軍事衝突が起こっている。
こういった紛争の多くには、民族問題が絡んでいる。だが、その本質を日本人はまったくわかっていない。紛争の時代。これからの世界の動きを捉えるうえで民族問題についての理解はかかせない。そのためのヒントが地理学にある。
代々木ゼミナールの人気地理講師である宮路秀作氏が、地理学的な視点から戦争について解説したコンテンツ(書籍『なぜ日本人は戦争音痴なのか』(シンクロナス新書))より、前編・後編の2回にわけてご紹介します。(後編)
言語境界は「紛争の火種」
日本国内には言語境界は存在しません。例えば共通テスト、すべて日本語というひとつの言語によって行われます。方言という差異はあるにせよ、日本国内には、基本的にはどこでも日本語が通じるという普遍性が存在します。
つまり、言語境界と国境がほぼ一致しているのが日本の大きな特徴の1つです。一方、世界を見渡せば、言語境界と国境が一致している地域はほとんどありません。
1つの国の中に言語境界があれば、すでにそこには「紛争の火種」が存在する、というのが世界の実情です。言語境界は、いわば「むき出しの導火線」です。
そうした感覚が日本人にはありません。意識する機会も方法もないので、世界の紛争を見た時、なぜあの人たちは喧嘩しているのだろう、どうして争っているのだろう、という感覚が先に立ちます。
つまり、他国で起きている戦争について日本人が理解できないのは仕方のないことなのだ、と言うこともできます。島国根性と言われればその通りでしょう。
ただし、多くの日本人が他国で起きている戦争を理解できないことのもうひとつの理由として、言葉の定義が曖昧である、というたいへん大きな問題があります。あの人はわかったような、わからないようなことを言う、という感覚を覚えることがあるのは、それは、その人の使う言葉の定義が曖昧だからです。
例えば、戦争に関する報道番組などで「地政学的リスクがある」という言い方が出てきます。そこで、地政学とはどういう意味で使っていますか、という質問を投げかけると、ほとんどの人は言葉に詰まります。
曖昧なまま、ふわっと言葉を使っているだけである場合が多いのです。日々、その場の空気に合わせて、わかったような、わからないような、そんな曖昧な言葉を使っているが日本人なのかもしれません。
言葉の定義が曖昧だから、セルビア人とは何者か、ということがわかりません。したがって、セルビアとコソボの間で何が争われているのかもわからないわけです。