バングラデシュの暫定政権を率いることになったノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏(写真:ロイター/アフロ)
  • 7月から激化していたバングラデシュの反政府学生運動は8月5日、シェイク・ハシナ首相の突然の辞職と出国、陸軍参謀長のワケル・ウズ・ザマン将軍が暫定政権を発足するという結末に至った。
  • 暫定政権を率いる首席顧問にノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏が就任。いちおう、この大騒乱はこれでいったん落ち着くとみられる。
  • だが、この事件が中国に与えるインパクトが意外に大きいことが、チャイナウォッチャーの間で注目されている。ハシナの辞任と亡命につながったバングラデシュの今回の学生運動について簡単に整理しておこう。

(福島 香織:ジャーナリスト)

 直接のきっかけは2018年に決定された(独立戦争で戦った)退役軍人の家族に割り当てられた公務員採用枠(クオータ制)の廃止を、2024年6月5日にバングラデシュ高等裁判所が取り消したことだ。これを契機に、ハシナ退陣を求める学生運動が盛り上がった。

 7月14日、バングラデシュ首相のシェイク・ハシナは、この抗議運動に対して「もし『自由の戦士』の孫が(特別採用枠を)受け取らなければ、誰がそれを受け取るのか? 『ラジャカール』の孫たちか?」と発言。ラジャカールは、独立戦争時にパキスタンに協力した民兵組織で、虐殺や強姦を行い国内では強い憎悪の対象となっている。

 ハシナの発言は反対派をラジャカールに例えたもので、それは国民に対する侮辱だとして、反対派はさらに怒り、「権利を求めたらラジャカール扱いされた」と、抗議は激化した。7月15日には与党派と反対派の学生同士の衝突で死者がでてしまった。

 以降、そのデモと警察、治安維持部隊との激しい衝突に発展。7月23日にハシナ政権はクオータ制変更を発表したが、その時点で200人を超える死者が出ていた。

 ハシナ政権は抗議行動中に複数の警察署や州庁舎が放火された後、秩序回復のために軍を招集。だがザマン参謀総長は先に、ダッカで若手の将校たちと会合を開き、「バングラデシュ軍は常に国民の側に立っており、今後も国民の利益のため、そして国家のあらゆる必要性のため、国民を支え続ける」と決断。8月4日に警察と反政府デモ参加者との衝突が悪化、さらに90人が死亡した段階で、軍部は民衆のデモを武力鎮圧するのではなく、ハシナの辞任を説得したらしい。

 ハシナは軍部の用意したヘリでインドに脱出。もう二度とバングラデシュに戻るつもりはないというハシナの意志を息子がBBCの取材に答えている。7月の運動が始まって以来死者は300人を超えると言われているが、とりあえず、この騒乱は軍部の決断によって最悪の事態は回避されたといえる。