「検察の威信」へのこだわり

 まず挙げられるのは、死刑が確定しているという重大事件において、過去の捜査の誤りを判決前に認めることは、検察の威信を根底から揺るがしてしまうという危機意識です。仮に冤罪を認めることになれば、真犯人はどこにいるのかという問いにも答えなければならなくなってしまいます。

 20年以上も前の事件の捜査をやり直すことは相当な困難が伴うでしょうし、現実的ではありません。

 さらに、「検察・捜査当局は間違わない」という“虚構の神話”も無視できません。

 起訴された者が有罪になる割合(有罪率)は96%に達しており、逆に無罪率はわずか0.2%。いったん起訴されたらほぼ全員が有罪になっていますが、検察や捜査当局が証拠を隠したり、ねつ造したりする例は過去何度も明らかになっています。そうした非を検察・捜査当局はなかなか公式に認めません。

 “間違わない組織”という看板のもと、検察は再審開始に追い込まれたとしても、自らの過去の誤りを認めることもほとんどないのです。

 では、袴田事件の再審公判で検察側がまたも死刑を求刑した背景には、どんな考え方があるのでしょうか。