脱北前のソアさんは、カンボジアの首都プノンペンの北朝鮮レストラン(現在は経済制裁で閉鎖)で特別に選別された踊り子(ホステス?)をしていた(なぜ彼女が美人なのか、それで合点がいった)。

 だれでも踊り子になれるわけではない。選ばれるためには家族の出身や経済や地位などの「土台」がよくなければだめだという(「成分」と聞いたこともある)。離婚した親も、脱北した身内がいる家もだめ。

 本人の学校での成績や態度、顔や身体(165cm以上)ももちろん重要で、ソアさんは11歳から17歳まで党中央の人間に監視されつづけたという。品行もそうだが、悪い虫がつかないようにということだろうか。

 金正恩一家のために働く人間は、医者、料理人、掃除人であれ、全員「5科」という部署に所属するらしい。そこからさらに最終選考されるのだが、ソアさんは最終選考まではいかず、海外派遣組に選ばれたという。最終選考された女性たちが「喜び組」と呼ばれるものかもしれないが、ソアさんはその言葉を韓国にきてはじめて知ったらしい。

北朝鮮が嫌いなわけではなかった

 彼女は意外なことに、北朝鮮が嫌いで脱北したわけではないという。彼女は北朝鮮でも恵まれていたほうなのだろう。北朝鮮が嫌いでない人間もいるというのが驚きである。

 ソアさんがカンボジアのレストランで働いていたとき、優しい韓国人に会った。北朝鮮が嫌というより、韓国人を好きになったため、かれを信じて脱北したのだという。

 日本に来る前、ソアさんは日本に対して「怖い感情と楽しみの感情があった」。「怖いのは、洗脳教育のせいで、北朝鮮にいたときは、アメリカ、韓国、日本が嫌いだった」。子どものときから徹底的に反米、反韓、反日教育を叩きこまれるのだろう。

 だから彼女は脱北しても、韓国には住みたくはなかったのだという。東南アジアのどこかに住むつもりだった。それゆえ脱北して4年たつが、日本に対してもまだ怖い感情、嫌な感情が残っている、と正直に語る。

 韓国での脱北者仲間に日本に行くというと、「拉致されるかもしれないから気をつけろ」といわれた。ジュジュさんが、逆に日本人が拉致されているというと、ソアさんはまったく知らなかったようで「衝撃」を受けている。

 オモニもその事実を知ったのは韓国に来てからという。北朝鮮では、その説明として、将軍様への愛が大きく、本人の希望で帰化したのだという嘘を知らされるという。