この記事や石井氏の著書には、私が前妻と離婚した1989年頃に彼女が私を結婚相手として付き合っていた、そして、私も参加していた評論家・竹村健一氏の別荘でのパーティーで彼女はそのことを知人たちに披露しようとしていた、と記されている。これは全く事実と異なる。
小池氏が失恋のエピソードについて関西のテレビで語った言葉が引用されており、その失恋相手が私だとされているが、それも事実誤認である。
時系列も全く合わないエピソード
私は、1986年に前妻と結婚してから、小池氏と私的に会ったことは一度もない。それなのに、私が1990年に購入した北海道の別荘で小池氏と「週末を過ごした」と記されている。時系列からしても不可能なことである。
テレビで顔を知られている二人が、足繁く週末にプライベートで羽田空港と千歳空港を一緒に往復すれば、それこそ週刊誌のスクープ記事になっていたであろう。
そもそも、この別荘は現地の白老町の人々が管理しており、常に多くの町民が私と一緒にいた。私の一挙手一投足が町民に見られていたと言っても過言ではない。私が誰を連れてきたかは、町長をはじめ、町民たちが全て知っている。不確かな他人の噂などに依拠するのではなく、現地に足を運んで取材すれば直ぐに分かることである。
竹村氏の別荘での「披露パーティー」については、竹村氏から、小池氏や私などの番組関係者が彼の箱根の別荘に招待されたのであり、1980年代初めのことである。
次に、小池氏がエジプトから帰国した後、メディアがどのようにして彼女の虚像を拵えていったかを書いておく。あくまでも、私が知っている1980年代前半の話である。
私は、欧州留学から1978年に帰国し、東大助教授として母校で教鞭をとっていた。テレビでは、最初はNHKの教養番組でフランスの歴史や政治について解説していたが、1981年5月にフランスに社会党のミッテラン大統領が誕生してから、国際政治の解説者として民放にも出演するようになった。小池氏と初めて会ったのは、その頃である。