これがよかった。その僧侶は「心が動かなくなっているのは、情報が入りすぎているからです」といい、「人断ち」をするよう勧めてくれたというのだ。

教育デジタル化を考えるシンポジウムに参加した国際ジャーナリストの堤未果さん(写真:共同通信社)教育デジタル化を考えるシンポジウムに参加した国際ジャーナリストの堤未果さん(写真:共同通信社)

「それは、一定期間、徹底的に外部とのコミュニケーションを断つというものでした」。つまり、人とも会わない。電話もファックスもメールもパソコンも禁止。本も読まず、テレビも見ない。「こうして私は、静寂と孤独の世界で過ごすことになったのです」(『堤未果のショック・ドクトリン――政府のやりたい放題から身を守る方法』堤未果著、幻冬舎新書、2023)。

 わたしはここまでを読み、なるほど、世間に疲れたら「人断ち」という方法があるのか、と思った。これは「人」に限ったことではなく、メールもパソコンもテレビもだめというのだから、本質的には徹底した世間断ち(情報断ち)ということなのだろう。現在では当然、スマホ断ち、SNS断ちになるだろう。

 わたしたちの頭の中はいつの間にか、ゴミやらクソやらの無用の情報でいっぱいになっている。

10日ほど過ぎたころ、「体感」が戻ってきた

 堤は「誰とも会わず会話せず、毎日朝起きて身体を動かし、毎週1回配達される食材で作ったご飯を一人で食べて、神社に散歩に行き、またご飯を食べてお風呂に入って寝る、というシンプルな暮らし」をつづけた。

 そうするうち、堤に最初に湧き上がったのは、「情報が欲しい」という「飢餓感」だったという。「外の世界で何が起こっているのかがわからないことが、不安でたまらない」。「誰かとつながりたい」という「欲求」も「高まって」いく。

 この欲求は大量の情報漬けによって、いつの間にかわたしたちの脳のなかに作られたものである。だからそれが遮断されてしまうと、わたしたちは麻薬が切れた中毒者のように不安になってしまうのだ。

 しかし、10日ほど過ぎたころから変化が起きた。「体感」が戻ってきた。

 自分の手の温もり、立ったときに足の下にある地面、さらさらと風にそよぐ葉の音に、鳥たちのさえずりに虫の羽音、木洩れ日のきらめきや、朝と夜の空気の密度と匂い、道端のたんぽぽの鮮やかな黄色……。まるで、今まで一時停止していた五感が、再び動き出しフル活動し始めたかのようでした。

 頭の中から種々雑多な情報が抜け落ち、身体が本来もっている自然(原始)の生き生きとした感覚がはじめて蘇った、ということだと思われる。