(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 わたしは76歳のこんにちまで、小中高の同窓会(クラス会)といったものに1回も参加したことがない。というのも、保険関係の仕事をしていた父親の転勤にともなって、転校を繰り返したからである。

 大学の同窓会も出たことはないが、これは転校と関係がない。それに大学の同窓会といったものが開催されているかどうか、知らない。

 生まれたのは大分県の佐伯市である。

 小学校の1年~3年は大分県竹田市の竹田小学校に通った。しかし4年~6年は大分市の春日小学校に転校した。

 中学の1年はおなじ大分市の王子中学に行ったが(元AKBの指原莉乃さんはこの中学の卒業生らしい)、2年~3年は佐賀県伊万里市の伊万里中学に転校した。ついでだが、この中学は英語の水準が高かった。

 高校の1年~2年は広島市の基町高校に行ったが、3年は長崎県佐世保市の佐世保北高校(作家の村上龍氏は同高の卒業生のようである)に転校した。

 つまりわたしは小中高を通して、入学した学校とおなじ学校を卒業したことがないのである。

転校は性格形成に影響を与えるか

 世間には、小学校だけでも3回転校したというように、もっと頻繁に転校を繰り返した人がいる。そういう人から見れば大した転校数ではないだろう。

 しかしどうなのだろう? 小中高で1回も転校をしたことがないという人は、比率的にどれくらいの人がいるだろうか。ほとんどの人は、1回も転校したことがないよ、という人なのだろうか。

 ただ転校はしたことがなくても、就職や進学で1回は故郷を出たことはあるよ、という人まで含めると、故郷を離れたことがないという人は案外少ないのではないか。

 いずれにしても、わたしはこの転校が嫌だった(好きな子どもはいないだろう)。友だちがやっとできたと思っても、また転校するのである。

 そのうえ言葉(方言)の問題もある。大分から佐賀に行ったときや、佐賀から広島に行ったときなど、方言がまったくちがうのである。往生した。