オーストラリアのワーホリはなぜ人気?(写真:aslysun/Shutterstock.com
  • ワーキングホリデー、いわゆる「ワーホリ」はすでに日本で40年ほどの歴史があるが、その傾向は時代と共に変化してきた。
  • モラトリアム的な時間を海外で過ごした「昭和」、語学勉強のための「平成」、そして「令和」のワーホリは「カネ稼ぎ」だ。
  • 特に、円の衰退と反比例するかのように経済成長を遂げたオーストラリアでのワーホリが大人気だ。『安いニッポンからワーホリ!』(上坂徹、東洋経済新報社)から一部を抜粋し、日本人がオーストラリアに出稼ぎにいく理由を2回に分けてお届けする。前編は、時代と共に変化してきた日本人がワーホリに行く理由とは?(JBpress) 

【後編】アルバイトこそ高賃金、「ハイリスク&ハイリターン」の仕組みが魅力

 ワーホリ制度は、日本ですでに40年ほどの歴史がある。今からは隔世の感があるが、日本人にとって、かつては海外旅行はまだまだ高嶺の花の存在だったのだ。円もまだ安く、日本人はそこまで豊かではなかった。

 海外旅行が大きく拡大していくのは、1980年代の日本のバブル期である。ちょうどそのタイミングで私は大学時代を過ごしていた。海外旅行がまだ贅沢な時代だっただけに、私たちの世代のワーホリのイメージは、まだある種、特別感があったわけだ。

 その後、1990年あたりから日本人の海外旅行がどんどん一般化していき、為替市場で円も高くなっていく中、ワーホリは大きく拡大していく。それがピークを迎え、ワーホリブームになったのが、2000年ではないか、とワールドアベニュー社長の松久保さんは語っていた。

ワールドアベニューは海外留学の手配やサポートなどを手掛けている

(写真:hyotographics/Shutterstock.com

 以来、オーストラリアなら年間1万人弱、日本人がワーホリで入国している。しかし、このあたりで伸びは鈍化して頭打ちになった。2010年くらいまで、ほぼ横ばいで推移していく。松久保さんは語る。

「海外に行ってもいいかな、という人の数が、おそらくそのくらいだったのではないかと思います。ワーホリ協定が拡大して行ける国も増え、まわりも行っているので行こう、ともともと行きたかったけれど行けていなかった人が行くようになり、成長していったんです。ただ、そのプールがもうなくなってしまった」 

 毎年、新規で行きたい人くらいしかマーケットに出てこなくなり、そこからはずっと横ばいが続くようになった。

安いニッポンからワーホリ!』(上坂徹、東洋経済新報社)

 一方で、ワーホリの目的も変化していった。先にも書いているが、私の知っている「昭和のワーホリ」は、まだ贅沢だった海外をモラトリアム的に楽しむ、というものだった。円高がどんどん進み、海外で働く魅力はそれほど大きくなかった。

 そうした遊びのワーホリは、やがて英語を学ぶための場になっていく。オーストラリアのワーホリでは最長4か月、語学学校で学ぶことができることもあり、語学をマスターするためにワーホリに行く若者たちが増えたのだ。言ってみれば、「平成のワーホリ」とでも言えようか。