(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
◉没後30年、舶来風昭和歌謡の牽引者・服部良一の人と仕事、そして遺産(1)
◉没後30年、舶来風昭和歌謡の牽引者・服部良一の人と仕事、そして遺産(2)
その才能は作詞にも発揮される
ここで、「作詞家・村雨まさを」についても記さなくてはいけません。服部が自ら作詞をするときに用いた筆名だからです。
服部が昭和歌謡に導入しようとした洋楽は、ジャズ、ブルース、ブギウギに限らず、シャンソン、タンゴ、ルンバ、ボレロ、大陸メロディー等、多岐にわたっています。
そもそも、歌謡曲に新しいリズムや外国曲の要素を注入したかった服部としては、それを実現したくとも既成の作詞家と曲を作る場合には限界がありました。新たな道の開拓のため、さほど手垢のついていない作詞家や歌い手と組んだり、時には自ら作詞をこなして創作する、という道を選びました。
村雨&服部コンビという一人二役の代表曲は前述した『買物ブギー』だと思いますが、村雨名義の作品は、戦前の笠置シヅ子への提供曲『タンゴのお話』などから始まっています。
作詞作曲家としての輝き
戦後になると、『銀座セレナーデ』『神戸ブギ』『バラのルムバ』『ハロー銀座』『東京カチンカ娘』『銀座ジャングル』『銀座パンチョー』『ワンエン・ソング』『ラヴ・レター』『モダン金色夜叉』『霧のサンフランシスコ』『アメリカ土産』『思い出のユーモレスク』『雨のビギン』『オールマン・リバップ』『ハーイ・ハイ』『ちょいとセンチねェ』『コンガラガッタ・コンガ』等々、笠置だけでなく、さまざまな歌手のために詞を提供することになります。
ロマンチックなものからトボけたものまで幅広く書いていますが、村雨作品の曲名に共通することはカタカナ、それも外来語を多用して、曲調とともに曲名にも垢抜けた要素を取り込んでいることです。
まだ焼け跡が残っていた時代にもかかわらず、タイトルを耳にしただけでワクワクした気持ちにさせてくれたことでしょう。
27歳まで大阪・道頓堀でジャズのサクソフォン(サックス)奏者として活躍していた服部は、アドリブ演奏をするような感覚でメロディーが産出してきたのではないか、またあるときにはメロディーに歌詞が伴って同時に浮かんでくるというケースもあったのではないか──実際のところはわかりませんが、こうして作詞・作曲・編曲の三刀流としての才能が花開いていきました。
同じコロムビアに在籍していた3歳年長の作曲家・古賀政男にも『影を慕いて』という作詞曲がありますし、時折、作曲家が作詞まで兼ねることがありましたが、服部とは作品の数において足元にも及びません。