2023年11月1日、東京国際映画祭より ©️rodrigo reyes marin/zuma press wire/共同通信イメージズ

(歴史家:乃至政彦)

『ゴジラ-1.0』のくさいセリフ

 いつも戦国時代をメインとする歴史ものばかり記事を掲載して頂いているが、今回は『ゴジラ-1.0』から、「過去との対話」という歴史的テーマについて書かせてもらいたい。

 上映から一ヶ月ほど、ネタバレを避けるため遠慮していたが、ある程度のことまでならもう大丈夫だろう。

 今回テーマとしたいのは、佐々木蔵之介演じる秋津淸治船長の印象深いセリフ「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。

 本作は昭和22年(1947)の戦後を舞台とした作品である。

 もう70年以上も前のことを映像化するのだから、時代描写は困難を極める。言葉遣い、大道具、小道具、歴史事件をどのように再現するか、無数の問題がある。

 昭和を舞台とする作品に定評のある山崎貴監督の作品であるから、本作の時代考証は緻密で、文句のつけどころがない。

 事実の「歴史そのまま」にするのではなく、適度に「昭和ぽさ」を組み合わせていて、我々を異世界へと連れていってくれている。

 よって、オーバーで“クサい”演出が目立つことになる。このため本作を一種の「時代劇」と感じた人もあるようだ。

 私もいくらかはそう思うのだが、特に秋津のセリフは、戦後昭和という特殊な時代らしさが強いと感じた。

 現代を舞台とする作品ではちょっと出てこない言葉なのである。

 ここにこの映画を現実の我々と無関係なファンタジー作品と見るか現代に通底する価値観を打ち出すリアルの作品と見るかの分岐点がありそうに思う。

ストレスゼロの大傑作

 最初に言っておくと、『ゴジラ-1.0』は本当に素晴らしい。正直言ってこれまでの邦画ゴジラには、どの作品においても特撮シーンのどこかで、心の目をつぶらないといけないところが必ずあった。

 今の技術で可能な限り、普通の人生では我々が見られないはずの驚くべき光景を見せてくれている──という感動と同時に、映像技術の限界を感じさせられてきた。初代ゴジラも観客たちは、着ぐるみのゴジラが登場するたび、笑いが出ていたという。

 昭和なら、怪獣の尻尾や航空機を操演するためのピアノ線が見えてしまったり、平成でも海外のコンピュータグラフィックスと比較にならない作り物感がはっきりしていて、「ここは理性を押さえ込んで/理性を使って、納得することにしなければならない」と自分の情感をコントロールする必要があったのだ。

 それが、本作にはない。ストレス・ゼロだ。

 ここに『ゴジラ』(1954)、『シン・ゴジラ』(2016)と並ぶ万人向けゴジラ映画がもう一作できた。長年のゴジラファンとして喜ばしい限りだ。

 さて、今回の記事はゴジラを持ち上げるためのものではない。

 歴史と解釈の話をしたい。

 本作『ゴジラ-1.0』はちょっとした時代劇臭がある。もはや歴史と化してしまった昭和前期の雰囲気を、当時の映像や発声を意識しながら、近年蓄積されてきた映像的な「昭和らしさ」を念入りに作り込んでいる。

 前世紀に大量に作られた江戸時代ものの映像作品もそうで、緻密な時代考証よりも「みんながこれまでのフィクション作品で見慣れてきたシェアードワールド」を舞台に作り込んでいる。 

 山崎貴監督の作品は、戦前戦中戦後の昭和前期を舞台とする作品が特に高い評価を集めている。観客をこのフィールドに見事引き寄せて、フィクション昭和を心地よく見せてくれている。