(舛添 要一:国際政治学者)
アゼルバイジャンとアルメニアの係争地、ナゴルノ・カラバフで、9月19日、アゼルバイジャン軍は「対テロ作戦」と称する軍事作戦を行い、アルメニア系武装組織は武装解除などを受け入れ、翌日の20には停戦が成立した。アゼルバイジャンの勝利である。
この結果、ほとんどのアルメニア人がナゴルノ・カラバフからアルメニアに脱出した。その数、およそ12万人にものぼるという。
失敗だった東西冷戦の戦後処理
1989年秋のベルリンの壁崩壊で東西冷戦が終わった。そして、1990年10月にはドイツが統一し、1991年12月にはソ連邦が解体した。
ソ連邦は広大な領土に多数の民族を抱える大帝国であったが、スターリンは反抗する民族を弾圧したり、強制移住させたりして、民族問題が噴出するのを防いできた。しかし、そのような強権支配の下でも民族問題のマグマが蓄積され、1985年に政権に就いたゴルバチョフが自由化・民主化を始めると、それが一気に爆発した。その意味で、ソ連邦を解体させたのは民族問題なのであった。
戦争の後には、新しい国際秩序を形成する作業が待っている。第一次世界大戦が終わって、ヴェルサイユ講和条約が締結されたが、この条約は、敗戦国ドイツに多額の賠償や再軍備禁止などの厳しい措置をとったため、戦後のドイツ人は塗炭の苦しみを経験することになった。そのドイツ国民の不満を背景に台頭したのが、ヒトラーに率いられるナチスである。