- イランでは、生成AIを聖職者のアシスタントにする研究が進められるなど、生成AIに関心を向ける宗教指導者が増えている。
- ChatGPTはリベラル寄りのバイアスがかかっているが、自分たちの教えに合うようにファインチューニングするのだ。
- 古来、宗教の拡大にはテクノロジーが関与していた。今回のイノベーションは宗教にどのような影響を与えるだろうか。
(小林 啓倫:経営コンサルタント)
「バベルからバイトへ」
旧約聖書『創世記』11章に、有名な「バベルの塔」の話が登場する。人類が一致団結して天まで届く塔を建設しようとするが、神は人間の驕りに怒り、それまで一つであった言語をいくつにも分けてしまうことで、人間同士が話をできないようにしてしまう。結局、人類は塔の建設を断念し、世界中に散り散りになってしまう――という物語だ。
この話は、人間の技術力に対する過信に対する戒めとして、現代に生きる私たちも胸に刻むべきだろう。ビットやバイトのテクノロジー、すなわちインターネットやスマートフォン、そしてAIといった目もくらむようなデジタル技術の数々によって、私たちはある意味、現代のバベルの塔を建てようとしている。
こうしたテクノロジーは、無限の可能性を秘めた世界を約束してくれているかのように感じられるかもしれない。しかし、謙虚さと敬虔さをもって歩もう。自らの創造物の輝きに目を奪われ、私たちを創造した神の手、そして、私たちを導く神の知恵を忘れてしまわないように。
どうか私たちが、技術ではなく、信仰によって導かれますように。ハイテクに精通した私たちの世代が、そびえ立つデジタルの建造物ではなく、永遠の神の知恵に根ざした存在として記憶されますように――。
「急にキリスト教の牧師のような話を始めてどうしたんだ?」と思われたかもしれないが、これは話題の生成AI「ChatGPT」に協力して書いてもらったものである。
手順はこうだ。
まずChatGPTに対し、「聖書の中で、テクノロジーへの過信を戒める逸話として使えそうなものはないか?」と尋ねてみた。すると「バベルの塔」など5つの逸話を提案されたので、一番説得力がありそうなこの物語を選択。そして「教会での説教風に」と指定した上で、テクノロジーへの過信を戒めるスピーチを書いて、とお願いしたのである。
出力されたスピーチはもっと長く、日本語で1000字以上になったため、ここでは筆者が要約した(もちろん、ChatGPTに「もっと短くして」と指示することも可能だ)。だが、「バベルからバイトへ」というのはChatGPTから提案されたままのタイトルで、なかなか秀逸な表現ではないだろうか。
宗教とテクノロジー、というと極端な組み合わせに感じるかもしれないが、実は意外に相性が良い。