文=松原孝臣 撮影=積紫乃
「やっぱり布が好き」
フィギュアスケートの衣装デザイン、製作において、折原志津子は確固たる位置を占めてきた。
「服飾のデザイナーになるつもりなんてまったくありませんでした」
と、意外なことを言う折原は、東京藝術大学の工芸科に学んだ。
「布が好きだったので、染色科に行こうと思って工芸科に入ったんです。工芸科の中には金属つと陶芸と漆と染色に分かれていて、1、2年は全部をやるんですけれど、3年からの専攻でやりたい方向に進む感じです。ですので、1,2年はひととおりのことをやり、3年生から染色のことをやりました。染めたり織ったりですね」
ただ、それを職にしようとは思っていなかったという。
「私は主婦になると思っていたので、ばりばり働く予定はなく、ただ好きで行っただけでした」
その後、「ちょうど父と母が向こうにいたので」、ドイツ美術大学に入学する。そこで学んだのに加え、ヨーロッパのあちこちに行ったことが大きかったと振り返る。
「ひたすらいろいろなものを見ました。いろいろな材料も見ることができましたし、布屋さんもいろいろなところに行きました」
ドイツで学んでいる間、目に留まった日本の会社があった。
「すごい可愛いニットを作っている会社があったので、ここに雇ってもらおうと思いました。全然募集もしてなかったんですけれど、『入りたいです』と作品を送りつけたら、面接しますということになって。じゃあ帰ろうと思って帰国してそこに入りました」
1年勤めたあと、「自分でやろう」と退職する。
「今度は雑誌社などに自分の作品を送りました。そうしたら仕事をもらうようになり、雑誌やテレビの仕事をするようになりました。作品に興味を持ってもらえたのだと思います」
「全然働く気なかったのに」と笑う。
最初の仕事は編み物、布に関する仕事、編み物と布を組み合わせるようなことをしていた。
それらにとどまらず、「これ作れる?」と聞かれて造形を手がけるなど、幅広く請け負った。
「できることはすべて引き受けていましたね。何でもやりました。大学のとき、いろいろな素材を扱っていたのがいきたというか、分かるようになっていたのがよかったかもしれませんね。金属も陶芸もやりましたし、それこそ刃物を研ぐところからやっていたので、どんな材料でも抵抗がなかったです。やっぱり布が好きですけど、今でも例えば髪飾りをつけるパーツとか、売っているのを買えばいいんですけれど、自分で作りたいという気持ちがあります」