金沢城 撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

もともと天守を持たない城

 金沢を訪れるたびに感じるのは、街全体としての文化度の高さ、である。センスのよい構えの店が多いうえに、スイーツは和洋を問わずハズレがない。街ゆく女性に心なしか美人が多く感じられるのも、彼女らの着こなしにそつがないからだろう。

天井から吊された鞠。金沢城下を散策していると、至る所で「美しいもの」に出会う

 そうした「文化度の高い街」の源となったのは、言うまでもなく前田利家が加賀百万石の居城として築いた金沢城である。この城は、もともと天守を持たない城であるために、少し地味な印象があるかもしれない。でも、筆者は掛け値なしの名城だと思う。見どころ満載、見ごたえ充分の城なので、今回は写真多めでお届けしたい。

 金沢城を訪れる人が必ずくぐるのが、石川門(現存)だ。大方の観光客は、石川門のところでパチリと記念写真を撮ったら、そのまま城内に入ってゆくが、何ともったいない! 石川門は全国の城門建築の中でも、間違いなくベスト5に指折られる「名門」だし、城的な見どころが満載の盛り上がりポイントなのである。

金沢城と言えば石川門。屋根瓦が何となく白っぽいことに注意

 この門は、枡形の三面を渡櫓で囲み、一隅に二重の隅櫓を設けるという超厳重な構えを取っている。枡形の中を歩くと、どれだけ隅に寄っても必ず射線に捕捉されることが実感できる。死角ゼロ・逃げ場ゼロのキルゾーンなのだ。

 石川門から両側につづく塀も現存遺構だが、いずれも壁の下の方がモザイク状に見える。これは「海鼠(なまこ)壁」という造りで、表面に平瓦を貼ったものだ。漆喰だけだと冬場の降雪で傷むためだが(壁の上部は屋根が雪を防ぐ)、狭間(銃眼)の位置を秘匿する効果もある。

石川門の海鼠壁と石落し。石落としを銅板で覆うのはコストのかかる技法だ

 また、普通の瓦では冬場に凍結で割れてしまうので、金沢城では鉛瓦を使用している。石川門の屋根が白っぽく見えるのは、このためだ。櫓の要所には唐破風の付いた出窓のようなものがあるが、これは直下の死角を打ち消すための石落としである。

土塀の途中にも同じ石落しが。戦闘設備だからこそ美しく、というのが百万石の心意気

 こんなふうに、石川門だけでも厳重さに驚くが、門を通って本丸の方へ歩いてゆくと、復元された五十間多聞が正面に見えてきて、威容に圧倒される。実物を前にすれば、もはや多くの説明は不要だ。どこからどう見ても、侵入不能である。しかも、憎たらしいくらい効果的に、城門とかみ合って防禦力を発揮するのだ。

復元された五十間多聞。この橋を渡って門を破る気には…とてもなれない

石垣もすばらしい金沢城

 城内には他にも現存の三十間多聞や、復元された鼠多門などの建物がある。見て歩いているうちに、この城の防禦構想がわかってくる。巨大な堀や石垣や天守を築造する代わりに、頑丈な重層建物を石垣の上に並べて城を守る、という発想なのだ。しかも、建物のデザインがセンスよく統一されている。なんと金のかかる防禦システムだろう。

三十間多聞(現存)。軒の処理、配色など隙のない美意識を見せる。石垣のデザイン性も特筆もの
近年復元された鼠多門。他の城では決して見られないデザインの城門だ

 いや、金沢城は石垣もすばらしい。この城の石垣は、たしかに大坂城や名古屋城ほどの迫力は感じない。でも、眺めて歩いていると飽きない。場所によって積み方や加工の技法が違っていて、バラエティーに富んでいるからだ。なぜか。

 前田家百万石は、日本最大の大名だが外様である。ゆえに、江戸城の修築などの公共工事に駆り出されることが多かった。そこで前田家では、平和な時代になっても石垣築造の技術を維持するために、金沢城の石垣修築工事をこまめに行っていたのである。

3段に築かれた石垣。よく見ると算木積みの技法が違うし、画面左側は後世の積み直しと、見ていて飽きない

 わけても感心するのが玉泉院丸の石垣で、石垣そのものが庭園の景観を構成している。ここの石垣は技術的に高度なだけでなく、石質の違いによる配色までも考慮した遊び心に富む積み方で、ほとんどアートである。

玉泉院丸の石垣。ほとんど現代アートである

 なるほど。金沢21世紀美術館という日本を代表する現代アートの殿堂が、この街に存在するわけだ。そんな金沢城、ぜひじっくりと時間をかけて「鑑賞」したいものだ。

[お知らせ]9月15日(金)〜18日(月祝)の4日間、横浜の鶴見サルビアホールにて、お城好きによるお城好きのためのイベント「城熱祭」が開催されます。西股は17日、城郭写真家の畑中和久さんとのトークセッション「城とカメラの深イイ話」などに登場予定。詳しくは城熱祭実行委員会のホームページへ。