今回の場合でも、彼女(家族)は4回ほど警察に相談したが、警察はまったく動いてくれなかったという。やはり警察にとってこのような案件は、できればさわりたくない、厄介な案件なのだろう。

犯罪者の人権は過度に配慮されている

 こういう事件が起きるたびに、必ず頭に浮かぶことは、警察はしょせん民事不介入だからな、ということだ。警察にも動こうにも動けないという事情はあるかもしれない。

 ならば動けるように、この際堂々と、「民事介入」ができるように法改正をすればいいのだと思う。現代は、もう昔のような悠長な時代ではない。命がいとも簡単に失われようになった。「民事不介入」はもはや時代にそぐわないのではないか。

 たとえば「すこしでも被害者に脅迫的・恫喝的言辞をなしたときは、それをもってストーカーを拘束できる」とするなど、積極策が望まれる。今回の場合、男は「おまえ、俺と別れたら知らねえからな」と威嚇した。この程度でもアウトである。

 ストーカーの人権など考慮してる場合ではない。他人の人権など歯牙にもかけないが、自分の人権だけは最大限に主張するというのが、この連中の特徴だからだ。

 そうでなくてもこの国では、犯罪者の人権は過度に配慮されている。テレビ局は、犯行を行っている犯人の映像なのに、なにを怖れているのか、顔にぼかしをかけるざまである。考えてみれば、ミランダ通告も黙秘権もばかげた規則ではないか。黒を白といいくるめようとする弁護士も腹立たしい。

 もうひとつ、こういう方策がとられてもいいのではないかと思う。

 被害者が感じる危険度の要請に応じて、警察が加害者の行動監視をし、同時に被害者の身辺警護をするのである。社会的重要人物にだけ警護を限定することはない。

 当然、市民をガードする部署や人員がいてもいいのだ。市民だってVIPなのだ。そのためには人員の増員や部署を増やせばいい。

事件のどうにもならない痛ましさ

 紗菜さんのご両親の心情を思いやると、やりきれない。ご両親は弁護人を通してこのような文章を発表している。

「犯人はなぜ娘の命を奪ったのか」「仕方のないことかもしれないけれど4回警察に相談しても有益なアドバイスをもらえなかったこと」「助けてはもらえなかったこと」。報道陣に対しても「私たちの住まいはもちろんのこと さなの祖父宅にまで押しかける報道陣のモラルのなさ」。

 ご両親は「この全てのことに疑問悲しみ憤りがあります」と書いている。

 しかしそれでも最終的には、自分たちを責めてしまうのだ。「でも一番許せないのは私たち親がまぬけだったこと」「さなを守れなかった」と。