デジタル機器が何でも教えてくれる時代。私たちに必要な「学び」とは(写真:REX/アフロ)

 スキルアップのためのセミナーや自己啓発本が巷にあふれ、国が個人の学び直しに5兆円を投じるという時代だ。せっかく割く貴重な時間だが、終わってみると「いったい何を学んだのだろうか」ということも“あるある”だ。コスパやタイパが重視され、ChatGPTが適切な解を見つけ出してくれる時代にこそ心にとどめておきたい学びの本質を、「株式会社学びデザイン」代表の荒木博行氏が解説する。

(*)本稿は『独学の地図』(荒木博行、東洋経済新報社)の一部を抜粋・再編集したものです。

「感想」と「学び」は違う

「学び」というのは、「誰かが設計してパッケージ化したものばかりではない」、ということを序文でお伝えしました。では、「学び」の本質とは何なのでしょうか?

 それは、一言で言えば「経験の前後の差分」です。

 とある経験をする前の自分(A)と、その後の自分(B)の差分(B-A)こそが「学び」の正体に他なりません。

 そのような定義に対して、多くの人はそれほど驚くことはないと思います。何かを学んだということは、その前後で知識や実技の習得など、何らかの変化があったということだと直感的に理解できるからです。

 しかし、この新鮮味のない学びの定義も、実践の現場ではそれほど当たり前ではありません。多くのケースでは、前後の差分のないものを「学び」と言ってしまっているからです。

 私は企業内研修で講師として呼ばれる機会があるのですが、その研修が複数日程からなるシリーズものだった場合、2日目以降で必ずやることがあります。

 それは、前回のセッションの学びが何だったか?という振り返りです。

「前回学んだことを発表してください」、そのような指示のもとに、実際に出てきた対話例を紹介しましょう。

「前回のセッションからの最大の学びは、もう少し自分に素直にならなきゃいけないということでした。いくつかワークをやりましたが、どうも自分を取り繕おうとしてしまって、なかなか良いフィードバックをもらうことができませんでした。変に誤魔化さずに、自分ができていないことはできていない、という自己開示をしっかりやることは重要なのだと理解しました」

 さて、これは「学び」と言えるでしょうか?