2月23日はロシアの祝日である「祖国防衛の日」。写真は今年2月23日、旧ソ連がナチスドイツを破った「大祖国戦争」(独ソ戦)でドイツに激しく抵抗した英雄都市のひとつモスクワにある記念碑に献花するプーチン大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 1年前の2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻した。プーチン大統領は、この「特別軍事作戦」が短期に完了するという見通しであったし、世界もまた、そのように予想する者が多かった。しかし、その「期待」は裏切られ、すでに1年が経過したのである。

 なぜ戦争が長期化しているのか、また、今後和平の可能性はあるのか、検討してみる。

ゼレンスキー政権の「強度」

 プーチンが見誤ったのは、ゼレンスキー政権の強さである。

 ソ連は、1945年のヤルタ会談で、ポーランドからガリツィア(ハリチナー)や西ヴォルイニ・ポリッシャ地方、ルーマニアから北ブコヴィナ地方、チェコスロバキアからザカルパッチャ地方などを割譲された。スターリンは、これらの新たに獲得した領土を、ソ連邦を構成するウクライナに併合した。

 そして1991年、ウクライナがソ連から独立すると、ウクライナは1240年のキエフ・ルーシ(キエフ大公国)崩壊以降で最大の領土を獲得することになったのである。

 東南部はロシア人も多く住んでおり、ロシアとの関係が深く、ロシアは強力に梃子入れした。一方、西部や中部は親西欧派が多く、EUへの加盟を求めた。こうして、ウクライナの東西で政治的意見も異なり、国が二分される状況となった。