右が対馬市の観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」(写真:Yonhap/アフロ)

(宇山 卓栄:著作家)

本当に「一歩前進」「正当な判決」なのか?

 2月1日、韓国の大田(テジョン)高裁は、韓国人窃盗団によって長崎県対馬市の観音寺から盗まれた文化財「観世音菩薩坐像」の所有権が同寺にあることを認めました。

 韓国側の所有権を認めた一審とは反対となった今回の判決について、日本では「一歩前進」「正当な判決」などと、有識者を含めて、好意的に評価する声が聞かれます。

 しかし、そんな前向きな評価をしていいのでしょうか?

 高裁判決文には、仏像について「倭寇による略奪をうかがわせる相当の状況がある」とあります。その上で、対馬の観音寺が長年占有したことにより、「取得時効」が成立し、現在の所有権は観音寺側にあるというのです。

「倭寇による略奪」を示す明確な証拠も史料もないのに、いったいどうして、そのような認定を韓国高裁がすることができるのか、疑問です。

 一般に、判決は結論を示す主文だけでなく、認定・判断の経緯を示す事実及び理由の陳述が重要です。高裁はあくまで、もともとは倭寇が盗んだとして、日本側の不法行為を一方的に認定しています。

 徴用工判決でも同じですが、乏しい根拠で日本側の非を認める韓国司法のやり方は変わっていません。これが「正当な判決」と言えるでしょうか。