藤田 確かにそうですね。このコロナ禍で変化せざるを得ない状況といいますか、常に変化していくことを前提として事業活動をしなければならなくなりました。

 コロナ禍で生活者の価値観も大きく変化し、改めて健康や幸せについて考える人が増えましたが、ヘルスケアとウェルビーイングは地続きだと思いますか?

矢野 地続きというか、本来一体のものだと思います。心が身体をつくり、身体が心を作る。つまり、分類しないほうがいいんですよね。ウェルビーイングかウェルビーイングではないのか、心なのか身体なのか、あるいは幸せを与えるのか不幸を帳消しにするのか、とか・・・。問題はこのような二元論では解決できないと思いますし、ビジネスにおける短期と長期とか、BSとPLとか、研究開発とマーケティングも、皆同じ悩みだと思います。そして各領域で同じ予算を取り合うと考えると、どちらを優先しようかというように発想しがちです。そうではなく、研究開発を通してマーケティングができるようにしようとか、マーケティングを通じて次世代の研究ができるようにしようと考えるべきです。「優先順位」という言葉を使っている人は、その時点で二項対立をつくってしまっている。

藤田 なるほど。確かに優先順位で物事を考える場面は多くある気がします。

矢野 明日はプレゼンで準備があるので、日課である夜のランニングはやめておこうと思ったとします。でも実際に走ってみると、思ってもみなかったようなアイデアが浮かんで、あっという間に翌日の準備ができてしまったということはよくありますよね(笑)。つまり「走る時間とプレゼンの準備の時間は相反する」という二項対立で考えることが、そもそも間違っているんです。

藤田 矢野さんは、今後、ウェルビーイングはどのようになると思われますか?

矢野 二項を共に生かす未来が訪れるとよいですね。幸せが利益を生み出し、利益が幸せを生むといった循環をつくりだしていくのが理想です。

 ウェルビーイングという言葉は最上位概念であり、あらゆる事を内包しているので、「ウェルビーイング」という特定分野をつくることができません。心理学や経済学、哲学、工学など多義にわたり、単一の分野では語りきれないからこそ、白か黒かといった二項対立をさせてはいけない。それが結果的に人を、心と身体といった二項対立から脱却させ、本来私たちが求めている世界を実現する一歩となるはずです。

藤田 霞が晴れる思いです。今日はありがとうございました!

インタビューを終えて(藤田康人)

 矢野さんへのインタビューでは、ウェルビーイングを社会実装する上で、常につきまとっていた疑問を解決する手がかりが見つかりました。

 ヘルスケアとウェルビーイングは地続きかという質問では、「心」や「身体」という言葉の枠組みはあれど、健全な心が健全な身体をつくり、健全な身体が健全な心をつくるという考えにもあるように、両者は相互一致・相互促進の関係にあり、そもそも心と身体は分けて考えられるものではないとした矢野さんの意見が印象的でした。

 大切なのは、二項のバランスを保つことなのでしょう。私たちの身体にホメオスタシス(恒常性)があるように、重要なのは全体の視点であり、局所の問題ではありません。しかし同時に、全体はその局所から始まるともいえます。

 三角形のコミュニケーションが、二項対立を解消し、将来の企業経営や世の中の社会デザインのあり方につながっていく。学問やビジネスの既存領域を超えたインタラクティブな視点こそ、ウェルビーイングに向けた、最も具体的な手段なのかもしれません。

◎矢野 和男(やの・かずお)氏
日立製作所フェロー、ハピネスプラネット代表取締役CEO。工学博士、IEEE Fellow。早稲田大学大学院を修了後、日立製作所に入社。1990年代初頭にナノデバイス、2000年代に入りウエアラブル技術とビッグデータ解析の領域で活躍し、開発したウエアラブルセンサはハーバードビジネスレビューにて歴史に残る技術として紹介される。その後開発した多目的AI「H」も、産業に幅広く活用されている。無意識の動作から幸福度を測る技術の開発に成功し、2020年に日立の出島企業として株式会社ハピネスプラネットを設立。著書に『データの見えざる手:ウエラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』『予測不能の時代:データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ』(ともに草思社)などがある。

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