肉は貴重な滋養強壮の「薬」

 この時、義父の弥兵衛は四十七士の中でも最高齢の77歳だった。この弥兵衛に内蔵助が牛肉を送った手紙が残っている。

〈老養には最上との事〉〈若牛之由故、肉合は格別柔きよし〉

 そう記されている。それも、1度だけのことではなかった。

 別日、内蔵助が弥兵衛に送ったもう一通の書面にはこうある。

〈可然方(しかるべきかた)より内々到来にまかせ進上いたし候。彦根之産黄牛(あめうし)の味噌漬養老品故其許(そこもと)には重畳かと存候。
 倅(せがれ)主税などにまいらせ候と、かへつてあしかるべし、大笑大笑〉

「可然方」とは誰のことか定かではないが、少なくとも内蔵助の支援者がいたことは想像に難くない。

 そして、ここにある「彦根之産黄牛」の記載。彦根藩は江戸時代にあって唯一、牛の屠畜と牛肉の生産を認められていた所領だった。彦根藩主の井伊家では、江戸城の太鼓の張り替えに毎年5枚の牛の生皮といっしょに、牛肉を幕府、将軍家に献上。御三家や老中などにも牛肉を進呈している。

「味噌漬」とあるように、牛肉は保存が利くようにほとんどが味噌漬けで“彦根名物”として知られた。それが生類憐れみの令が布(し)かれていた元禄年間にも、市中に出回って、容認されていたことを示す。