ダルマ駅が続々と誕生した理由

 地域に偏りはあるものの、以前は日本各地にダルマ駅があった。設置された時期も昭和の後期でほぼ同じである。それには理由がある。

 日本国有鉄道(国鉄)が分割民営化されたのは1987年(昭和62年)4月のこと。トラックに輸送の主役の地位を譲りつつあった貨物列車も、経営合理化により大きな変革を余儀なくされた。合理化の1つが、貨物列車のワンマン運転化である。

 それまで多くの貨物列車には最後尾に車掌車(および類似の貨車)が連結され、車掌が乗務していた。ところが、機関士一人での運行が可能な条件が整ったとして、1985年3月のダイヤ改正で原則として車掌車が廃止となったのだ。

 また、荷物の扱いが容易な「コンテナ」の普及で、有蓋車などの貨車も次第に必要なくなっていった。

 ただ、車掌車や有蓋車は屋根があって雨風を防げるのに加え、車体が頑丈なので、倉庫としての利用価値が高い。こうして、余った貨車は、民間に払い下げられたもののほか、駅舎として生まれ変わることになったのだ。

 それから30~40年が経ち、ダルマ駅は次第に数を減らしてきた。そして数少なくなったダルマ駅も消えていこうとしている。

 後編では、いまいくつのダルマ駅がどこにあり、最近廃止されたダルマ駅がどこにあったかを詳しく見ていく。もちろん、このところ話題になっている「赤字の地方鉄道をどうしていくか」という議論と無関係ではない。

消えゆくダルマ駅、いまならまだ見られる現存駅はココ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72875