初の200kg超え力士となった高見山
その背景にはハワイ出身の高見山の存在がある。高見山は昭和45(1970)年頃から昭和52(1977)年7月場所までずっと165~168kgぐらいで体重を公表していた。しかし、写真や映像をよく見ると昭和50(1975)年頃からあきらかに肉付きがよくなっている。
「本当は200kgぐらいあるのでは」と、関係者の間では盛んに疑問の声が上がるようになっていた。
山本山のところで紹介した協会発表とは別の相撲診療所の身体測定では、高見山は昭和52年7月に201kgを計測していた。また北の湖も相撲診療所の測定では165kg以上の体重があったが、協会発表では150kg程度と少な目に申告していた。
あまりにいい加減な公式発表が増えたこともあり、昭和52年9月場所前の力士会で、久しぶりに体格検査が行われた。注目の高見山は体重計に乗り、目盛りが200kgを差そうとした瞬間、あわてて飛び降りた。そして立ち合っていた親方にウインクして「185kgぐらいということで」と言いながら、去っていってしまったという。
しかしいつまでもごまかすわけにもいかず、高見山は相撲界初の200kg超え力士となり、最高体重は207kgを記録した。