キリンビール、日本青年会議所で過ごした修業時代
野並氏は2004年に慶応大学経済学部を卒業し、崎陽軒に入社する前に3年間、外部の企業で修業をしている。その点は父親で現会長の直文氏も同様だったが、野並氏が試験にパスした中で就職先に選んだのはキリンビールだった。
「社会人として社外の企業に勤める経験もしておきたいと考えていましたし、その中でも食品メーカーがいいなと。自分たちで作ったものを自信を持って販売している会社のほうがイメージしやすいと思ったからです。キリンビールは崎陽軒同様、横浜発祥で工場もありますしね。入社に際しては一度、地元の横浜から離れた土地で仕事をしたいという希望を出し、半年の新入社員研修を経て神戸支店に配属されました。
神戸は横浜と同じ港町なので似たような空気感があり、担当エリアの飲食店やお酒屋さんを対象とした営業をしました。神戸にもキリンの工場があり、もともと市場シェアが高い土地でしたが、ビールメーカーはライバル企業が明確ですよね。その点、崎陽軒は駅弁と横浜土産の要素を併せ持った会社で直接のライバルがいないので、そこは改めて認識した点です」(野並氏)

実は野並氏は本来、1年前の昨年5月に社長に就任するはずだった。現会長の直文氏が昨年、ちょうど社長在任30年の節目だったからだ。実際に直文氏もこれを機にバトンタッチすることを考えていたのだが、野並氏が昨年、任期1年で日本青年会議所(以下JCI日本)の会頭に就任し、社業以外に全国を飛び回る機会が急増したため、社長就任を1年先送りにした経緯がある。
「JCI日本の会頭になって、全国にともに頑張るJCIの仲間ができたことは大きな財産になりました。崎陽軒の経営理念の1つに“真に優れた「ローカルブランド」をめざします”というものがありますが、全国のことを知りながらローカルに徹することと、知らないでローカルに徹するのとでは、全然違う文脈になってきますから。
視野を広げて全国を知っているからこそ社業で新たな取り組みもできるし、またそうした目線でローカルに徹することが自覚できるようになったと思います。JCIでの経験やそこでできた人脈はこれからも間違いなく活きていくと思います」(野並氏)
JCI日本会頭としての活動が直接のきっかけではないものの、今年7月、崎陽軒はこれまでまったく接点がなかった福井県と相互協定を結んでいる。同社が他の都道府県と協定を締結したのは初めてのことだった。これは2024年春に北陸新幹線が敦賀(福井県)まで延伸する計画を見据えたもので、今後、福井県産食材を盛り込んだ弁当を開発していくことになるという。
こうした県をまたいだ取り組みは、コロナ禍においてももたらされている。
昨年11月、日本で初めて幕の内弁当を作ったことで知られる、まねき食品(兵庫県姫路市)とコラボし、「関西シウマイ弁当」を発売したのがそれだ。本家の崎陽軒のシウマイは干帆立貝柱を使用しているが、関西シウマイ弁当では昆布だしや鰹節で旨味を出し、豚と鶏肉のミンチに刻み蓮根を混ぜ込んでいる。このコラボは、コロナ禍で駅弁の販売が落ち込んだまねき食品が崎陽軒に話を持ち掛けたものだが、同様に福井県との協定事案も先方から打診があったものだった。

そこにはローカルブランドを守り抜く崎陽軒が、地域創生に資する事業で頼りにされていることもうかがえ、野並氏も「駅弁の業界が発展できるかどうかわかりませんが、今後も持続可能な状態を作っていくという意味では、まねき食品さんと取り組んだように、地域が違っても協働できることは今後もあるのではないか」と語る。